複雑系の渦に落ちて

ダラダラ生きていきたい 

否定的な感想:東京レインボープライド(TRP)に初参加してみて

 前回はTRP初参加(歩くわけではない)に際しての期待感と、疑念を書き連ねた

chiyuki7658.hatenablog.com

のですが、実際に行った感想を書いてみようと思います。ちなみに、先に結論を話してしまうと事前の懸念通りかなり否定的な体験になりました。

 

 

 

 

感想

否定的な感想 その1 人が多すぎ

 

入場制限などもされていないため、スムーズに人流が流れないような状況となっており(特に入口付近)、きちんと警備員などを配置しないと、今後群衆雪崩などが起こり得るのではないかという懸念も少しよぎるような状態だと感じました。

 

 

否定的な感想 その2 企業ブースが目立ちすぎ

企業ブースの規模感にも嫌な意味で圧倒されたのですが、何より外資系の世界中に良くも悪くも(悪い方が多いのでは)影響を与えるような企業が多く出店していて、東京のパワーを感じたりしつつ、私には(というかほとんどの人には)関係のない世界の人たちだなという感情になりました。

 

 

否定的な感想 その3 ミスジェンダリング普通にされる

これは、運営スタッフではなく、飲食系のブースの店員からなのですが、食べ物を受け取る前に「お兄さん」というような呼称をされたという事態がありました。そもそも、今どき「お兄さん」「お姉さん」呼称をすること自体、こうしたプライドイベントとか関係なく、無しだと思っています(普通にお客さん、お客様統一で済む)。こうした見かけから勝手にジェンダー化された呼称をされるということは、大阪でもあったので、これに関しては東京も大阪も、運営側はまじで何しているの?となりました。

 

否定的な感想 その4 独り身にはつらすぎ

 

私がブースに立ち寄ったのが21日日曜日の昼間だったのですが、朝から何も食べていなくて、人混みにも酔いはじめふらついてきたため、仕方なく飲食ブースで軽食を購入しました。先述の通りマイクロアグレッションされながらも、軽食は手に入れることはできましたが、周囲にはゆっくり食事をできるスペースなどはもちろんなく、代わりにあるのが座ることができない簡易机(しかもむちゃくちゃ密)だけ。ともかく人混みの中で手軽に食べられものでもなかったため、そこで食事を取ることにしたのですが、周りの人たちは誰かしらと来ている人がほとんど(というか私には全員がそう見えた)で、一人で延々と食事を取ること自体がいたたまれなくなるような感覚になってしまい、大急ぎで食事を済ませてさっさとその場から退散しました。いたたまれなくなったのは、あまりポジティブではない視線(早くどいてほしいのか、一人で食べてることへの視線なのかわからないが、とにかくあまり好意的ではないもの)を感じたからなのですが、今書いている内に思い出しても、結構不愉快だったなと回想します。

 

 

 

否定的な感想 その5 初めて来た人などが集まれるスペースが無い

 

これに関しては、たまたま大阪のレインボーフェスタに昨年参加した際に、宣伝していなさ過ぎて気づかなかったのですが、どうやら参加した人同士が交流できるスペースが存在したという話を聞いたため、東京の方がより規模も大きく、それこそ地元では身バレなどを恐れている人なども日本全国から集まって、なおかつ交流してみたいと思っている人もいるはずなのに、そうしたスペースが無かったこと(もしかしたらあったのかもしれませんが)に単純に悲しくなりました。初めて来た人同士が交流できるスペースがプライドイベントであるのかは、すごく重要だと思うので、逆に東京以外のイベントの事情などを今後知りたいなとは思いました。

 

否定的な感想 その6 健康な人しか想定されていない

これは、ブース内を歩いていた時の感想なのですが、運営側が設置したと見られる椅子が私が見た範囲では見られなかったということに、驚きました。企業ブースなどに入れば、座ることもできるのかもしれませんが、ただ、ゆっくり座って過ごすという行為ができない空間作りがなされている点に非常に問題を感じたし、大阪のプライドイベントも共通する問題があるとはいえ、休憩できるスペースはあったし、まだゆとりは感じられたなと思いました。

 

良い感想 ただしTRPのカウンターに関して

カウンター

逆に良かった点もあげたいのですが、それは運営側というよりも、NPOなど社会的な活動をされている人や、個々の人たちの中に、カウンター的なことをしている人(ピンクウォッシングに反対していると見られる人など)がいたので、その点には少しは希望を持ちたいと思えた部分がありました。

 

TRPから退散したあと、良いスペースで過ごせた

 

カウンター的なイベント「陰気なクィアパーティ」に参加したら、むちゃくちゃ良かったので、関西とか、あるいは全国各地でこうしたイベントが開催されてほしいと切に思いました。その場所は、代々木公園内の芝生にレジャーシートを敷いてあるスペースで、ゆっくりくつろいだり、雑談したり、本を読んだりと各々の楽しみ方ができる感じだったのですが、TRPのブースでの人混みや疎外感といったモヤモヤに疲れが溜まっていたこともあって、しばらくはボーとしていました。まず、そうしたふるまいが当たり前にできる空間であること自体、特に大都市においては貴重だし、もちろんTRPにおいてもなかったので、すごく居心地良く過ごすことのできる場所があるだけでも良かったなと感じます。と同時に、今のTRPが想定している人の枠組みの狭さに憤りも覚えはしました。

 

 

 まとめ

今後TRP行くか?

 こんな感じで、様々な媒体で批判されていた通り、私が目にした短時間でもかなり問題だらけに感じる点が見受けられたので、今後こうした問題点が洗い直されない限りは、TRPに参加したいとは思わないだろうなとは感じました。(カウンター的なイベントには行ってみたい)

 

それでも一瞬は勇気づけられた 

 ただ、それでも最初地下鉄の原宿駅を降りて、地上に出ていく段階から、レインボーフラッグや、クィア符牒となるアイテムを身に着けている人がたくさんいたことに高揚した部分はまずありました。そして代々木公園の入口、公園に入ってブースにかけて進んで行くにつれ、より多くの人が自身のアイデンティティに沿った身なりをして、あるいはそれに連帯を示すアイテムを身に着けているのを見て、それだけでも来た価値があるのではと、一瞬思ってしまったところはありました。最も、ブースでの体験でその期待感は見事に打ち砕かれるわけなのですが。

東京以外の大都市のプライドイベントの今後が心配

 あとは、大阪などの特に東京以外の大都市のプライドイベントも今後数年から10年くらいのスパンで、より大規模なイベントになっていくことなった場合、東京のような事にならないか懸念しているので、大規模化するプライドイベントのあり方について欧米圏の議論なども参考にして、批判的に検討していきたいなと思っています。

 

 もっとも大規模なイベントにより、多様な性に対する周知が図られる側面は無視できるものではないし、意義を否定するつもりもないですが、そうした大規模なイベントが、お行儀の良いマイノリティ*1というような、マイノリティ内の格差を再生産するような規範を課してしまっていることも否定できないのではと考えています。

 

オルタナティブの探求をやってみるかも?

 またそうした、東京などの大都市で行われるイベントとは違った形で、プライドを持てるようなイベントとか居場所、クィアたちが集まれるコミュニティのようなものができないだろうかという野望のようなものを実は抱き始めてきており、今回のTRPへの参加で、よりそうした思いが強くなってきた感覚があります。

 

 だからといって、今すぐ何かできるアイデアがあるとか、そんなに体力があるわけでもないのですが、少しずつ色んな選択肢を作っていけないか模索してみようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:例えばホモノーマティビティのような規範 解説記事https://jobrainbow.jp/magazine/homonormativity

東京レインボープライド初参加と疑問 あと女王蜂が20日に代々木に!

 今回はただの雑談なのですが、実は今年、はじめて東京のレインボープライドに行ってみようと先日思いたちました。

 

 ホテル代も、新幹線も普通に高いのが中々辛いなと思いながらも勢いで日程を入力したら、当然あっという間にクレジットから引き落とされ、最終日の21日に東京に行く運びとなりました。

 

 

 

 

 

 

 

参加する動機と、乗れなさ

 

 プライドイベントとは言っても「逸脱」した服装はするつもりはないので、そんなにプライドを持って振る舞えるわけではないんだよなと考えたり(特にホテルのチェックイン時のこととかを考えたりして...)と、ネガティブよりのことと、逆に今までも地元のプライドイベントには参加したことがあるので、全く慣れていないということはないと思いますが、他の都市のプライドイベントとは規模が桁違いで雰囲気を知りたいという気持ち。あと、個人的に聞いているpodcastの人(それに限らず界隈では有名な人?)や、俳優の方、知っている歌手などが参加する予定があるという情報に心が沸き立っている部分は正直なところあります。

 

 ただし、そんなに素朴に楽しめるかと言われれば、東京レインボーパレードが抱える問題を鑑みると、できないとは思います。

 

 

 

東京レインボープライドの問題について

 

 東京レインボーパレード(以下TRPと略す)は、商業主義的な側面と関連して、運営側が過去(2022年)に差別的な対応を取っていた企業(アクサ損害保険)が出店していることに対する抗議活動を行った人に対して、警察官を呼ぶような行動を取ったこと*1。また以前から指摘されているピンクウォッシング*2との批判*3に対して、今年度は事実を否定するような声明*4や、批判者を指して「妨害を主導」と書いた声明*5を出したりと、運営側に問題があるイベントだと認識しています。

 

 

 また、それに加えて過去にTRPに参加した際に、おそらく企業ブースなどのスタッフからミスジェンダリングをされたり(これに関しては、地元のイベントでもあった)、アセクシャルやアロマンティックなどlgbtqコミュニティの中でも周縁化されたセクシュアリティの人々にとって「プライド」を持てる場所とは言えないというような体験をされている方をsnsなどで目にしたこともあり、私のように「わかりやすくない」クィアで、なおかつ「経済的便益」をほぼ生まない存在は想定されてないのではといったことは考えてしまいますし、実際そういう側面はあることを考えるとそんなに、素朴に楽しく過ごすという風には思えないだろうなとは想像しています。

 

 

 

女王蜂の公演が代々木公園に?

 

 それと、ついさっき知ったのですが、女王蜂の15周年記念公演が代々木第一体育館で4月20日に開催されるという情報に女王蜂からのメッセージを受け取り、プライドイベントと合わせて行ってみたかったなとわりと悔しくなってきています。

 

 一応説明すると、女王蜂の会場と同じ公園内にTRPのブースがあるということで、アヴちゃんたちのパワーを浴びて元気をもらいたかったし、その後ブースに行くと、シームレスにクィアな雰囲気が持続する感覚を得るみたいな体験はしてみたかったという感じです。もっとも、その場合もブースに関してはモヤモヤしていたでしょうが。

 

 まあ、地元にも全国ツアーでは来てくれるから、とりあえず、初ライブかつ、初女王蜂を体感したいという目標を実行に移すべきかどうかと考えています。

 

 

最後に

 

 実際何度も参加している人からしてみれば、そんなに良いイベントだとは思わないという人もいるだろうし、そもそも対面のイベントの時だけ、あるいはプライド月間の時だけ協賛するような企業に左右されるようなイベントのあり方自体どうなのとは思うところはあります*6が、ともかく一度は行って見たかったというのはあります。それで実際行ってみた結果どういった課題があるのか。また、私がどう感じるのか。地元のイベントとの違いや、東京以外のプライドイベントのあり方などを考えてみる上でも参考になるかもしれないというような期待、セクシュアリティを含めた包括的なコミュニティのあり方を考える上でも(クィアインクルーシブで、他のマイノリティも包括的なコミュニティのあり方に興味があるため)、ある種反面教師として参考になるかもしれないという気持ちもあります。

 

 色々と問題や違和感について書きましたが、TRPのスタッフも一枚岩ではないだろうし、今後批判が繰り返されていく中で、何か変わることもあるのではないかという期待は持ちたいと思っています。

 

 実際に行ってみた感想も後日あげられたらなと思います。

 

 

ピンクウォッシングに関して、参考になりそうなサイトや動画のリンク

 

ピンクウォッシュとは何か。日本にもある?「LGBTQ当事者が、イスラエルの虐殺に声を上げるのは自然なこと」と専門家【解説】

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_660a06d4e4b007c08f9dfb99

 

見る、話す、すれ違う、祈る——TRPのピンクウォッシュに抗して[忘れた頃に届く 2024年4月]

https://remember-this.theletter.jp/posts/d3ee67f0-f3e2-11ee-8ca1-e5f7a88dc170

 

 

荻上チキ・Session 4月2日(火)「FrontLine Session 」より 能町桃子さんと語る 「ピンクウォッシング」という言葉を知っていますか?

https://youtu.be/s_c36BjAvw8?si=q_d8a_b18h_CT7VO

 

イスラエルに対するボイコット、資本の引揚げ、制裁を行うよう求める国際キャンペーンBDS運動の情報発信をするサイト

https://bdsjapanbulletin.wordpress.com/

 

 

 

 

 

 

*1:https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6263ba93e4b0dc52f496e0cc

*2:lgbtqフレンドリーをうたうことによって、イスラエルパレスチナに対して行っている占領、虐殺行為を覆い隠すこと

*3:https://feminism-lesbianart.tumblr.com/post/745208362544889856/trp2024-bds-letter2

*4:https://tokyorainbowpride.org/news/20240315/2042/

*5:https://tokyorainbowpride.org/news/20240330/2092/

*6:そうした問題がありつつも、クィアアイデンティティについて祝ったり、啓発するためのイベントとしての意義はあるとは思っています

友情と恋愛的な惹かれの違いってなに!?②

chiyuki7658.hatenablog.com

 前回に引き続き、クィアの私の視点から恋愛と友情について掘り下げて行こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「恋人ほしい」はわからないが、友達や仲間への強い憧れはあることについて

 

そもそもなんで友達や仲間に憧れてる?

 

 友達と仲間というのもかなり広い概念なのですが、友達は、何かしらの共通の行為を共有したりできる関係性、仲間というのは何かを共有する点は友達と同じだが、社会課題など何かしらの目的や理念を共有できる他者くらいの意味合いで捉えています。

 

 私がこうした関係性に憧れを感じるのは、漠然とはしているのですが、社会的な問題について部分的にでも価値観を共有して、その課題について考えたりできる存在がほしいというのが理由の一つで、あとは他者と関わりを持つ方が私の硬直した考えを解きほぐす上で、メリットが大きいという自己中心的な理由もかなりあります。

 

 また、上述の理由だけでなく、恋人がほしいとは思っていない分、別のベクトルで他者とのつながりを求めようとする心の働きが生じている側面があるのかもしれません。

 

 ただし、こうした人との交流欲がどこから生じているのか自分でも分析しきれていませんし、そもそも恋人も、友達もどちらも大切にする人だっているので、人それぞれではあるのだと思いますが、少なくとも私の場合は、色々な側面から他者との関わりを求めているとは言えます。

 

 これに関しては、現状家族や親戚、通院している精神科の主治医とあとは不定期に会うコミュニティスペースの人くらいしか、他者との関わりがなく、中でも深いかかわりというと家族くらいしかないというのも、交流欲を強く持っている理由としては大きい気がします。その中でコミュニティスペースに関しては、交流のために参加することがあるのですが、よくも悪くも浅い繋がりにとどまることが多く、それはそれで楽しめることもあるのですが、中々知り合い以上の深い繋がりを築いたりは、難しい感覚があります。こうした狭い範囲での繋がりをもう少し広げたいというのも動機としてはあります。

 

 

 

 

創作物の影響?

 

 友達や仲間といった関係性に重きを置く背景には、意外とフィクションの影響も大きいのではないかと感じています。漫画作品などでも、友人や仲間といったかけがえのない関係性がよく描かれますし、百合表象やbl表象でも恋愛的なものやそこに括りきれないものも含めて、他者との関係性が少なくとも私にとって魅力的に写ります。児童文学などでも友情は重要な要素の一つですし、アニメ作品なども特に子供に焦点を合わせた作品などでは友情が描かれることが多くあります。

 

 小さい頃から、こうした創作物に触れてきたこと、また、恋愛的な要素には共感できなくとも*1友情を含めた関係性には、共感して見ていられたというのも、友情に重きを置く傾向の背景にあるのではないかと分析しています。

 

 

恋人や友達がいなくとも、安心して暮らせる方が良いけど...

 

 前提として、一人でも満足に生きていくことができる社会制度が構築されていくべきですが、そうはなっていない社会においては、多かれ少なかれ他者との関わりをせざるを得ません。私個人としても、一人でも生きられるような社会であったならば、他者と全く関わることなく過ごすことは堪えたかもしれないのですが、ここまで他者との繋がりに重点を置く考えには至らなかったかもしれないと思っています。

 

 今の社会、とりわけ日本においては、血縁主義とそれに基づく家族主義が色濃く残り、異性愛主義の枠組みに沿って、「家族」(結婚)とならない限りは*2制度的にも、あるいは社会的にも十分に保障されないという構造があり、そうした社会において血縁主義によらず、またその制度を下支えする異性愛主義的な枠組みにも乗らない形のコミュニティのあり方は、私が(あるいは他の人にとっても?)生きる上でとても重要なことのように思えます。

 

 

 

 

 

友達になりたい人のジェンダーセクシュアリティは関係するか?

 

 関係ないと言い切りたいところなのですが、現状では全く考慮に入れないというわけにはいかないというか、自然とクィアな人たちや、例えばシスヘテロであっても性愛や恋愛に重きを置いていない人たちの方が気が合う確率は高そうだという印象はあります。また今までの経験に即すると、いかにもシスヘテ男性的な振る舞いをする人とは、あんまり関わり合いになりたくないなという感情もあります。

 

 他には、社会的な問題意識や趣味、あと単純に気が合うかなどの共通項などはセクシュアリティよりも重要な要素ですが、これに関しても色んな点で気が合っても、例えばジェンダー周りの発言で問題含みだったり、クィアの存在を想定していなかったりすると、程度にもよりますが深く関係を築きたいとは思えないなとは考えています。これに関しては、仲良くしたいなら、思い切って指摘してみると言うのはあり得るかもしれないですが、これも場合によりけりでしょうし、友達作りにおいても色んな人と関係を築くのは意外と難しいなと感じます。

 

 

 

 

 

 

 パートナーシップを築く際に想定しうる問題について

 

 

パートナーシップの意味合い

私にとってのパートナーシップは、同居など生活空間や日常生活において共有する事柄が増えた際にお互いに明示化するルールのようなものだと考えていて、結婚なり、いわゆる「パートナーシップ制度」など公的な証明による拘束力を求める関係性とは異なった関係性だと考えています。ただし、パートナーシップ制度なりを「道具立て」として使うこと自体はあり得るかもしれないが、その場合も不和が生じた場合のリスクを鑑みた上で検討する必要がありそうで、それはそれで面倒くさそうという気持ちがあります。

 

 そもそも、公的に関係性を証明するという行為をいつまで続けるのかという問題もあるような感覚があり、せめてフランスのPACS*3のような制度であれば、まだ利用するハードルも低くなりそうですが、この場合も例えば二人以上で契約することは想定されていないから、何人かで住むとしたら、同じマンションの別々の部屋を借りるとか、シェアアパートメントにするとか、けっこう工夫が必要になりそうだなとか、特に予定はないけど考えたりしています。

 

 

性的関係を持つ男性とパートナーシップを築く場合は?

 

 その場合は、たぶん「ゲイ」向けマッチングアプリなどを介して出会うのでしょうが、まず私の感覚を説明する時点で骨が折れそうな気がしています。というかそのあたりが面倒くさいし、私の感覚が否定されそう、とか性愛関係にそこまで積極的でないみたいな感覚があまり共有されにくいというゲイコミュニティ(だけではない)の特徴も相まって、マッチングアプリは使いづらいというか、今も躊躇しています。

 

 肝心のパートナーシップを築く場合に関してですが、まず外形的に「男性」同士だとみなされることへのもやもやは、ホモフォビックな意味ではなくあるだろうとは想定します。ただ、この視線というのは、例えば性愛関係のない男性とパートナーシップを築いた際にも同様に向けられるだろうから、なんというかそんな外野の適当な決めつけに惑わされるのも馬鹿らしいし、気にしないという気持ちにはなるかもしれないです。

 

 

 

いわゆる「恋愛的」とされる行動すべてが嫌とは限らない?

 恋愛的とされる行動を許容するとしたら、ものにもよるでしょうが、基本的にはおそらく性愛関係を持つ男性とのあいだで発生することになると考えていますが、私はそもそも何が恋愛関係の構成要素かイマイチわかっていません。例えば性愛関係は「恋人」同士がするものみたいなイメージがあったりするけど、その前提からして誤っているし、他にはデート、スキンシップ、生活の共有ぐらいでしょうか?スキンシップに関しては、基本的に好きではないが、私の場合性愛関係のある対象となら許容できるような感覚があるので、場合により一応「可」くらい。デートに関しても、ロマンチックなムードはわからないけど、普通に遊びに行くノリであれば、誰とでも行くことができる気がします。生活の共有に関しては、ライフスタイルや価値観や感性の違いにより変わってくるとは思いますが、この場合も他者のジェンダーセクシュアリティに関係なくできる気がします。

 

 恋愛的とされる行動が必ずしも嫌とは限らないのですが、そもそも相手から恋愛的とされる感情を向けられること自体を不愉快に感じる可能性があるので、そもそも恋愛感情を向けてくる人とのパートナーシップの構築は、相手のためにも基本的に断るとは思います。(そもそも、私に大した人間的魅力がないから、恋愛感情を向けてくる人を心配する必要は薄そうだが)

 

 

「恋愛」パートナーとして見られるのは嫌か?

 これに関しては、「異性」カップルだとみなされることが個人的に一番嫌なので、外野がどのようにみなしたところで関係性が変わるわけではないけど、しんどいとは感じる気がします。「同性」同士とみなされる方がまだマシというか、少なくとも異性愛者に押し付けられる、生殖圧力や、その他あらゆる規範からは逃れられるため、その方がまだ良いかもという感覚です。

 

 ただ、こうして書いているうちに、パートナーシップを志向すること自体が、外野から勝手に名指されるうざさを伴うし、もっというと、他者と仲良くしようとする行為自体も、多くの場合異性愛的なものとしてみなされたりするし、色々考えてきたけどいっそのこと何もしないのも一つだよなという感情もあります。 

 

 話題が少し飛んでしまいますが、最近ACEやノンセク向けのオフ会や、具体的に何処かは忘れたけど、恋愛関係などを自身のセクシュアリティとは関係なくやらない、志向しない人たちで集まるみたいな前提があるコミュニティみたいなのもsnsかなにかで見た覚えがあってそれぞれすごく大事だなと思いました。

 

 また、こうしたオフ会などが都市部中心とはいえ、増えてきている?のはやはりそうした恋愛と性愛が結びついたクソ雑な感情を向けてきたり、決めつけてきたりする人たち(しかもほぼ異性愛)の中で関係性を築くことがあまりにも難しいというのも大きいのだろうかと推察します。

 

 

 

 

そもそも性的な惹かれとかと関係なく、性愛関係を重視したくないのだが

 

とはいえ折り合いは必要だし、そんなに単純に割り切れない

 

 色々と書いてきましたが、そもそも私の惹かれとは関係なく、そんなに性愛に重きを置いて人生をやっていく気はそんなにないです。ただ、性愛(対人との)周りに関しては、ゲイコミュニティの周縁にいる人として、性愛規範の影響は受けざるを得ないから、ゲイコミュニティに参加したりする機会が今後あったら、そのノリには「適応」した方が楽なのだろうなという感覚もあって、一言では言えないのですが、折り合いをつけて、あと嫌なことにはNOと言いながら模索していけたらなと思っています。

 

 まあ、性愛云々よりも、そこに焦点を当てずに、緩やかに色んな人々との交友関係を築くことに重きを置こうと思っています。

 

 

 

私にとっての理想の関係とは?

 

 私にとって理想の関係がどういったものなのかイマイチわかっていないのですが、例えば「夜明けのすべて」、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」といったフィクションや、現実でもpodcastをされている人で、長年の友人関係を築かれている人の掛け合いなどを見ると、憧れを覚えたりします。

 

 ただ、現実の人間関係で、理想の友人を求めることは、理想の恋人を求めることと同じくらいには、困難なことのように思えるので、特定の大親友みたいな関係性よりも、もっと色んな繋がりを浅くても良いから築くことに重きを置きつつ、むちゃくちゃ気が合う友達や仲間ができたら、podcastで配信するくらいの心持ちで構えているのが良いかなという感じで捉えています。

 

 

 

終わりに

 こうして書いてみても、なんだかとりとめがなく、結局友情と恋愛の違いを明確に言語化できたとは到底思えないのですが、この不明瞭さや、その中でも、これは嫌だけど、これは大丈夫みたいなことがわかってきた所があるので、私にとっては意義がありました。今後も友達に関する感覚や、他のセクシュアリティに関するトピックなどは定期的に取り上げて見ようと思っています。

 

 

 

 

*1:百合、bl表象、またそれらを内包しうるクィア表象における恋愛表象も、恋愛要素そのものより、彼らが置かれる社会的な差別や偏見、また彼らの関係性の強さというか、尊さに感情移入して見ている

*2:もし異性カップルが結婚したとしても、安心して過ごせる社会とはいえないが

*3:性別に関係なく、成年に達した二人の個人の間で、安定した持続的共同生活を営むために交わされる契約のこと

友情と恋愛的な惹かれの違いってなに!? ①

 先日、目標について書きました

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 その記事の「クィアな友達や、私のことを正直に話せる友達を作る」という項において、友達作りとかをやっていきたいという抱負をつらつら書き連ねていたのですが、時折湧き上がるこうした交流欲は一体何なのだろうという疑問が浮かび、思索を深めたいと思ったので、今回はアロマンティック*1 自認の私にとっての友達欲について少し掘り下げて考えてみたいと思います。

 

今回 友情と恋愛的な惹かれの違いってなに!? ①

次回 

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「友情」、「恋愛」とはそもそも何か

 

 私は恋愛的な惹かれがよくわからないなと思っているので、今のところアロマンティックだと定義づけているのですが、クワロマンティック*2という概念にも親近感を覚えるところがあります。それは、私個人の経験と照らし合わせるなら、性的な惹かれが生じる対象は男性で、多くの人はその場合はその対象に対して恋愛的な魅力を感じるのだと思いますが*3、私の場合は男性に対してのみ恋愛的に惹かれるという感覚がわからず、まして男性以外の人に対しても同様で、そもそも恋愛的な惹かれというのは一体何なのかという疑問が浮かんできました。

 

 友情や職場における信頼関係、家族との関係性など、愛を含む他者との関係性には様々な形態があり、その中の恋愛感情と他を分かつ基準がよくわからないというのが現状で、おそらくこれは一生謎のままだろうと思います。これに関しては、当然だと思っていて、むしろ今の異性愛規範が前提となった社会において、対人の「異性」とみなされた間柄は恋愛(性愛も含む)関係、そうでない「同性」間は友情とみなすあまりにも単純化されすぎた、しかし今でも力を持つ規範が、複雑な関係性をあまりにも単純に塗りつぶしてしまっているということなのではないかと考えているからです。(こうした恋愛的指向を定義づけること自体への疑念をいだいている点もクワロマ的ではあるのかもしれません。)

 

 

 恋愛伴侶規範と強制的性愛は、クィアコミュニティにもある

 

 こうした異性愛規範が内包する恋愛伴侶規範(amatonormativity)*4と、強制的性愛(compulsory sexuality)*5の影響は、セクシュアルマイノリティのコミュニティにおいても違った形態で存在していて、これ自体すごく複雑なテーマだと思いますが、私がある程度知識を有するゲイコミュニティに的を絞って説明すると、性愛的な関係性が重視されるという規範が根強くあります。この背景には、男性同士の性愛や恋愛関係がとりわけ近代以降の日本社会において差別や偏見に晒されてきたということは、念頭に置く必要がありますが、その上で、例えばクィアアイデンティティを持ったり、男性と性愛関係や恋愛関係を持つ男性やノンバイナリーを含んだ人々の中には、性愛や恋愛的なことを重視しない人、興味が薄かったり、ない人も存在しているはずです。

 

 

 しかし、そうしたクィア集団内の多様性が、今のゲイコミュニティにおいて十分に想定されているとはとても言い難い状況にあります。むしろ性愛に興味がないといった場合、否定や「治す」ように促されたりといった事態もありえます。*6

 

 

 また、これまで話した規範は全て具体的な他者との関係性を前提としており、非対人性愛的な志向を持つ人々*7を想定していない点でも問題があります。

 

 

 

 上述のように様々な点で問題だらけの社会規範の下では、「恋愛」や「友情」という語彙の意味合いもひどく狭い意味で用いられたり、一部の関係性にのみ社会的*8承認がなされています。

 

 

 私にとっては、「恋愛」も「友情」も完璧に定義づけることができない果てのない関係性だとは思いつつも、一方社会をやっていく以上はある程度それらの語彙の持つ意味合いを理解し、自分なりにどういうスタンスを取るのか明確化しておいた方が便利だし、何より「楽」になる気がするので、こうして思案を重ねているのですが、中々難しい作業となりそうです。

 

 

結びに

 

 現時点での恋愛と友情に対する私の理解をまとめると、それぞれ複雑すぎるから定義不可能という感じになるのですが、それでは堂々巡りに陥るので説明を試みると、例えば恋愛よりかは、友情という概念の方が色々な関係性を説明するうえでしっくり来る感覚があるのですが、私が友情とみなす感情の中に、「恋愛」感情を抱く人と共通するような感覚や、外形的にそう認識されるような事もありそうだと感じています。

 

 私は、最初に書いたように恋愛的な惹かれがわからないからか、友情や仲間がほしいといった感情はそれなりにあると感じています。*9

 

 次回は、友情を含めた関係性や、コミュニティのあり方について書いていこうと思います。

 

 

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*1:恋愛的に惹かれないセクシュアリティ

*2:

「クワロマンティック(クォイロマンティック)」とは何ですか? 定義は? | AセクAロマ部

*3:もちろん恋愛的惹かれ自体も濃淡があるし、性的な惹かれと恋愛的な惹かれが同じ対象とは必ずしも限らないが 

*4:一人の特別な人と恋愛して、結婚して、その人だけを大切にするというような規範のこと 恋愛伴侶規範についてより詳しく解説した夜のそらさんのサイトのリンクも貼っておきます https://note.com/asexualnight/n/ndb5d61122c96

*5:性愛を至上のものとする価値観のことで、実在の他者との性愛、それも規範的な性愛関係を自然に欲するという規範

*6:前者の具体例として性愛に対する距離を取りたいという私の価値観を正直にゲイバーで伝えたところ、やんわりと否定されるという経験をしたことがあります。

*7:フィクトセクシャルや対物性愛等

*8:またそれに付随する法的なものも含めた

*9:もちろん交友関係を志向しなかったり、その意欲が薄い人もいると思います

私が推すものについて 2024年5月27日追記あり

 今回は、私が個人的に愛するコンテンツや推し的な人、キャラクターについて紹介できればと思います。クィアな観点が前提となっていることを一応明記しておきます。あと、好きなコンテンツを羅列したため、長いわりにあんまり中身のない紹介になってしまっているかもしれませんが、ここであげた作品は基本的にどれもおすすめなので興味があれば是非見たり、聞いたりしてみてください。

 

 長くなりすぎて、気づいていない誤字や脱字も多々あると思います。見つけたら適宜修正していきます。

 

 

〈追記 2024年5月27日 女神の継承に関してはモキュメンタリーホラーの可能性を感じたという点で選出しましたが、レビューなどを見ていく中で、ミソジニー的な側面や、精神障害ステレオタイプ化に繋がりかねない表象、土着の信仰の扱いとしての問題も感じたため、積極的に推したいとは思ってはいないです。また、現時点でおすすめしている作品であっても、今回のように問題に気づくことがあるため、再度おすすめの作品を選び直したものを投稿するかもしれないです〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アニメ編

 TVシリーズ

 カウボーイビバップ

 渡辺信一郎の監督作としては先に坂道のアポロンサムライチャンプルースペース☆ダンディを見てからだったのだけど、個人的には今作が一番好き。mappaで作っている新作も楽しみ。

 

 少女革命ウテナ

 独特な演出スタイルにはじめはそこまで馴染めていなかったのだけど、後半から終盤にかけての怒涛の伏線回収と、ウテナとアンシーの関係性の行方など、オールタイムベスト作品の一つ。

 

 カードキャプターさくら

 特に序盤の作画ローテーションの安定感が凄まじく、片渕須直神戸守など好きな演出家も定期的に登板するし、日常の中で生きるカードキャプターというストーリーラインも心地よかった。新シリーズがどうなるのかは気になる。浅香守生監督はちはやふるといい働き過ぎだから、もっと他の演出家や監督に任せても良いのにとは思いつつも、やはりさくらは浅香監督に担当してほしいとは感じる。

 

 ノワール

 

 真下耕一×月村了衛の化学反応がうまく作用した作品。欧州の洒落た風景や、ミニマルな演出、梶浦サウンドとすべてがハマっていて良い00年代作品だなとしみじみ。百合表象としても好み。

 

 キノの旅 中村隆太郎版 

 唯一無二の演出と間が特徴的な中村隆太郎監督作

 

キノの旅は原作未読なのだけど、どの回も彼らしいとしか言えないカット割り、間、音響によって構成される世界観に圧倒される。

 

 

 蟲師

 

 長濱博史監督の演出技工は、他作品のopなどでも発揮されていて、どれも職人技的な凄みがあるのだけど、今作は馬越嘉彦をはじめとする優秀なアニメーターが多数参加していることもあり、地味だけど枚数を使っているすごいカットや難しそうな動きがたくさんあって、スタッフの苦労がうかがえる。漆原友紀の原作を完璧に映像化した映像美にひたすら酔いしれる至福のアニメ。

 

 電脳コイル

 

 私にとって作画に注目するきっかけとなった作品でもある。未来的な要素とレトロさが合わさった世界観にもどハマリした。百合表象としても評価ができる。

 

 日常

 

 京都アニメーションの作品はどれもハイクオリティで選ぶのを迷うが、ギャグ漫画表現を京アニが映像化するとここまでぶっ飛んだクオリティのものができるのかと関心した作品。背景美術のうまい具合の抜き方とかも好み。

 

 少女終末旅行

 

 ポストアポカリプスジャンル自体が好きで、旅、日常系のジャンルと合わさっている時点で好きなのだけど、何より撮影出身の尾崎隆晴監督の無機質な空間を写す手腕を堪能した。

 

 まちカドまぞく

 

 日常系の作品もかなり好きなジャンルだが、今作はファンタジー要素と、絶妙にトンチキな設定、シリアスになりそうでならないバランス感覚などが、完璧なバランスで成立している作品。監督や演出家も、ベテランの布陣で固められているから安心して見られる。完結するまでアニメ化されてほしい。

 

 

 

 

 

 10作品思いついたものを書いたが、他にも良い作品はたくさんあるし、とても書ききれない。この中だと、特に少女革命ウテナ蟲師電脳コイル少女終末旅行がいつもすぐに思いつく作品のため、私にとってすごく大切な作品なのだと思う。あと、ハイジとか母をたずねて三千里等の古典作品を見たらリストが変わる気がする。

 

 

 

 アニメ劇場作品

 〈国内編〉

 となりのトトロ

 

 日本の原風景描写と、尺のコンパクトさが見やすい。幼少期に何度も繰り返し見ていた作品としての思い出補正もあるかと思ったが、大きくなってから見返してもむちゃくちゃ面白い。私は映画やアニメを見るとき、ストーリーラインよりも背景や生活描写に着目しがちなのだけど、その原点は宮崎駿、高畑作品のリアリズムが基になっている気がする。

 

 もののけ姫

 

 宮崎駿作品で一つあげるとすれば今作品になるかもしれない。アシタカとサンの関係性は、ロマンティックなものも含むという読解をする人が多いが、クィアリーディングもできる作品なので、個人的にクィアプラトニックな関係として二人の関係を捉えている。壮大なスケール感と、周縁化された人々への眼差し、単純なハッピーエンドには還元されないストーリーライン等、語彙力がなさすぎる言葉だが、何度見ても感動する。

 

 

 千と千尋の神隠し

 

 私のファーストジブリ映画は、劇場鑑賞だとハウルの動く城だったと思うのだけど、幼少期からDVDや金曜ロードショーで何度も見てきたし、見るたびに新しい価値を再認識させられる。今作から、宮崎駿作品のプロットは抽象度が高くなっていったようだが、私にとっては今作がある種基準になっているので、後続の作品もすんなり受け入れられている感覚がある。

 

 じゃりン子チエ

 

 大阪描写の解像度の高さと、漫画的な造形のキャラクターたちの作画的な面白さ、日常の挿話が続くだけなのにむちゃくちゃ面白くて、永遠に見ていたい。TVシリーズは画質が悪いので未見なのだけど、リマスター化されたら見ていきたい。ホーホケキョ となりの山田くんも、さらに前衛的な漫画の映像表現として好き。

 

 おもひでぽろぽろ

 

 日常描写のリズムの心地良さ、近藤喜文デザインのリアリズムと回想シーンのうまく抜いた絶妙の作画表現に、アニメ表現の力を感じさせられた。

 

 かぐや姫の物語

 

 水墨画タッチというか、顔彩?風の一枚一枚微妙にむらがある複雑すぎる映像表現をやってのけたこと自体がまずすごい。また、苦悩をかかえ続けた女性の感情の動きを表現したストーリーラインに、現代にも通じる古典の語り直しとしての卓越性も感じる。高畑勲作品は、微妙に異性愛風味の描写が入ってくるのでその点は「古さ」を覚えるし、今作でも捨丸との関係性にはそうした古さがあるが、それでもクィアな女性としてのかぐやという読み方ができる作りにもなっているから、何度も見返していきたい。

 

 ghost in the shell

 

 リアル系作画の到達点の一つとしての映像美。尺も非常にミニマルで、続編のイノセンスと合わせて、完成された作品。

 

 AKIRA 

 

 作画表現としてはスチームボーイの方が完成されている印象がある(年代が違うから単純に比較できない)が、内容はだいぶ弱めなので、やはり原点にして頂点の作品としてのAKIRAは、やっぱり自然にあがる。昨年、「アニメ背景美術に描かれた都市」というAKIRAを含めたアニメ映画の高密度の背景美術の原図などを展示した展覧会を観てきたこともあって、作画はもちろんのこと美術の凄まじさを再認識させられた。画集やメイキングブックもほしい。

 

 

 

 少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録

 TVシリーズの完結編かつ語り直しとして、最高にゴージャスで熱い結末。今でもずっと心に残り続けている作品。

 

 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

 メンタルヘルスに問題をかかえていた時期に見たこともあって、憂鬱さの心理状況をここまで描いた映画作品として思い入れがある。またAirにおける戦闘作画のエポックさとしても魅力的だが、体力があるときでないと中々つらい作品ではある。

 

 カウボーイビバップ 天国の扉

 OPのリアルさを極めすぎた日常描写。戦闘機?サーカスアクション、終盤の高密度すぎる肉弾アクション、イスラム圏のスークやニューヨークなど様々な地域モデルにした多国籍な風景描写など、シリーズ有終の美としても非常に満足感のある一作。 

 

 

 スプリガン

 

 アクション大作としてコンパクトだが、安定した満足感がある作品。こういう感じのアニメ映画が毎年作られる未来もあり得たのだろうかとノスタルジックな気持ちになることもあるが、コストがかかり過ぎていそうで無理か。アクションは中盤、終盤よりも、序盤のカーチェイスからのパルクールアクションがハイライトかもしれない。

 

 劇場版(1999年公開) -カードキャプターさくら

 

 浅香守生のフィルムという時点で好きだし、旅映画としての完成度も高くて、定期的に見たい。ただ、配信で見る機会がないので残念。

 

 ストレンヂア  無皇刃譚

 

 90年代くらいに、散発的に制作されたアクション大作系アニメ映画の系譜に位置づけられそうな作品。中村豊をはじめとしたアクションアニメーターたちの技巧が堪能できる剣技アクション作品としての完成度の高さに酔いしれることができる。パイロット・フィルムもすごい。

 

 リズと青い鳥

 

 西屋太志さんの線の細やかなキャラクターデザインと、山田尚子×吉田玲子コンビによる繊細な感情の機微を捉えるプロットと演出がとても好みで山田尚子監督作品でも一番好き。些細なズレと、最終的にそのズレや距離に対し、ある種の答えを見出していくという落とし所も好み。

 

 海獣の子供

 

 2Dと3Dと組み合わせた映像表現としてエポックメイキングな作品という面で選出。studio 4℃繋がりで鉄コン筋クリートと迷ったが、作品のスケール感や、久石譲のミニマルな音楽と、水や生き物の表現力に久々に映像に圧倒される体験ができた作品。

 

 プロメア

 今石洋之×中島かずき作品は、面白くは思いつつも、セクハラ描写がある作品もあって、イマイチ乗れないところがあったのだけど、今作は尺が111分なのでいつもよりもさらに目まぐるしく話が展開していくし、男×男の関係性表象としてすごく刺さった。

 

 

 劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト

 劇場の音響と大画面で体感した方が良い作品。冒頭から揺さぶりをかけまくってくる前衛的な演出と、ジャンルオリジナル企画的な要素が唯一無二の融合を見せている。古川知宏はこれからの作品も楽しみだが、ラブコブラの続報が無いので辛い。

 

 

 

 とりあえず有名どころをあげていっただけみたいになったが、個人的90年代後半の良質な作画アニメにノスタルジーを感じる(セル2D表現の極地という点でもロストテクノロジー感がある)ので、そのあたりからいくつか選出した。

 

 他に長期シリーズだとドラえもんのベスト作品は芝山版だと大魔境、海底鬼岩城、竜の騎士あたりになる。新シリーズだと、のび太の恐竜2006、新のび太の鉄人兵団の渡辺歩、寺本幸代がベスト。あと、八鍬新之介監督作も安定して良いが、ドラえもんシリーズ以外で昨年監督した窓際のトットちゃんが大傑作だったので、あえて挙げなかった。

 

 クレしんは、初期作品は映像や演出面では尖っているものの、ステレオタイプな「オカマ」表象などにダメージを受けてしまうので、あまり評価したくない。強いて言えば、戦国大合戦とかになる気がする。あとは、最近のクレしん映画は第二黄金期みたいになっているようなのだが、未見の作品ばかりなので少しずつ履修していきたい。

 

 〈海外編〉

 メアリー&マックス

 生きづらさを抱える者同士のつながりを描くストップモーションアニメ。最初は、気軽に見れるかと思って見始めたが、生々しい展開と描写に心を揺さぶられた。また、クレイアニメの可能性も感じさせられる作品。

 

 コララインとボタンの魔女

 

 ホラーストップモーションアニメは、パラノーマンも好きだが、行って帰る王道のファンタジープロットと、おどろおどろしい世界観を圧倒的な技術で映像化した作品としてライカスタジオの作品としても一番好き。(他作品も素晴らしいから、順位はつける必要ないけど)

 

 モアナと伝説の海

 

 ディズニー・ピクサー作品で一番好きかもしれない作品。水の表現や、タトゥーのアニメーションなど映像面でも充実しているし、恋愛展開がないのが何よりも見やすい理由の一つとしてある。近年のディズニー・ピクサー作品は恋愛要素がないか薄い作品が多くて、それに対して批判もあるが、個人的にはすごく良い傾向だとは思う。

 

 ソング・オブ・ザ・シー

 アイルランド神話をベースにしたファンタジーアニメーション。織物のような文様と、平面的な絵本のようなビジュアル表現に圧倒される作品。

 

 

 ウルフウォーカー

 ソング・オブ・ザ・シーと同じ、カートゥーンサルーン制作。アイルランドが歩んできた大国に翻弄されてきた苦難の歴史の中で、抵抗する周縁化された者達という構図はもののけ姫的であるし、シスターフッド、百合的な読みができる作品としてもよくできた傑作。

 

 

 父を探して

 

 棒人間のように削ぎ落とされた記号的なキャラクターとカラフルな映像表現で、ブラジルの歴史の中で翻弄された人々の生を描く骨太な社会的テーマを扱った作品。ミニマルな生を通してこの世の不条理を表現する作風は、「この世界の片隅に」とも通ずるところがあるが、今作の方がより構造的な暴力に対して自覚的に描写していると感じる。

 

 ペルリンプスと秘密の森

 

 父を探してと同じアレ・アブレウ監督による長編作品。今作に置いても社会的なテーマへの意識は明確で、正反対の対立する国から送られたエージェント2人が次第に、この世の構造に気づいていくという前作とも引き続きながらも、より「私たち」自身に語りかけてくるプロットに勇気をもらった作品。映像面では、色彩表現と音との融合に重きが置かれているのか、その点が特に注目ポイント。

 

 

 

 羅小黒戦記

 

 何気なく見たら、想像を遥かに上回るアクションを含めた作画にノックアウトした作品。京都のミニシアターで初鑑賞したのだけど、全編シンプルさと、スタイリッシュさを合わせた温かみのあるキャラクターが目まぐるしく動き回るので、見終えたあとの多幸感が半端なかった。このスタジオの作品はもちろん、中国アニメーションをもっとチェックしていかないなと今更思わされた作品。

 

 シチリアを征服したクマ王国の物語

 

 ブッツァーティ原作 絵本のようなカラフルなビジュアルの物語で、破綻なく丁寧な画面が終始続くので、その点でも安心して見られるし、普遍的な風刺劇としてのパワーも感じた秀作。

 

 神々の山嶺

 

 フランスのアニメーション制作力が卓越しすぎていて、羨ましくなった。日本の生活描写もあまりに自然で芝居もしっかりしている(振る舞いとかジェスチャーは多少大げさな印象があった)し、山登りという単調になりがちで、魅せ方も難しそうな画面も、迫力があって、本当に良かった。フランス圏の作品だと、カラミティやロングウェイノースも貼り絵のようなシンプルな造形でありながら、リアリティのある作画表現が全編楽しめて、非常に満足感があって良い。

 

 flee 

 

 アニメーションドキュメンタリーの可能性を感じた作品。アニメーションという手法を用いることによって、匿名性は確保しつつも、その人が体験してきた経験の多層性を伝えることができることに感動した。

 

 オオカミの家

 

 終始、画が動き続ける「全編背景動画のような」ビジュアル面でも衝撃を受けるし、ある程度抽象化されつつも、少女の記憶を追体験するかのような臨場感のある映像体験ができる唯一無二の作品として、選出した。

 

 

 海外作品に関しては、特に近年の作品数の増加が楽しみで、アニメーションという媒体を通じて様々な表現が生み出されていってほしいなと感じる。個人的には、フランスのアニメーションの質(特に2D)が高すぎる(日本で公開される作品は特に優れた作品というバイアスはあるだろうが)ので、フランス語勉強しようかとか思い始めている。あとは、南米アニメーションの存在感を感じている。

 

 ハリウッドはもちろん、中国なども日本より高待遇で安定したクオリティの作品を次々と生み出している様を見ると、日本の制作環境との差を想像して、クリエイテビティを発揮できる環境が作られないと、日本制作のアニメを見られなくなる日もそう遠くはないのではと不安な印象をいだいてしまう。きちんと賃金保証されてほしいのと、何より育成環境も整えられていってほしい。

 

 

 

 実写映画

 邦画(近年)

 ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい

 アセクシャル、アロマンティック表象としても、色んな生きづらさをかかえた人たちが、傷つきから逃れる居場所としてのぬいサーの温かさ。言葉の持つ暴力性や難しさに自覚的に優しく編まれた作品として心にしみる。

 

 夜明けのすべて

 

 むちゃくちゃ最近の作品だが、この作品はPMSパニック障害をかかえる二人が、お互いの特性を理解しながら生きていく話で、作中に登場する人たちもいろんな辛さを感じながら生きていくことが描写されていることにも、周りの優しい対応に、癒やされ、自分の行動を顧みて、登場人物たちを見習いたくなる、そんな気持ちにさせられる作品だった。

 

 やがて海へと届く

 

 明確ではないが、女性間のクィアな感情が描かれた作品。他者を理解することの困難さ。その痛みについて誠実に描かれた作品。

 

 

 

 邦画はなんというのか、えぐってくるような作風のものが一定数あって、作品の善し悪しとは別に、見るのがするところがあったのだけど、近年のこれらの作品(やがて海へと届くは削られるけど、誠実だとは感じたので入れた)には、優しさというか、登場人物たちを暖かく見守るような視点を感じて、気になる潮流?かもしれない。いずれの作品も小説が原作なので、小説の潮流とも関わっているのかもしれない。

 

 邦画 クィア

 ハッシュ

 

 類型的に「愚かな女」として記号化されそうな女性と、ゲイカップルの繋がりをただそこにあるものとして拾い上げていくことの尊さというか、その力に心を動かされる作品。

 

 櫻の園

 

 女性同士の様々な感情(恋愛や性愛も含みうる)が、映像にしっかりと刻まれている邦画として思いついた作品。

 

 

 邦画のクィア表象は全然チェックできていないけど、橋口亮輔の作品はどれも恐ろしい程のリアリティの凄みにやられてしまう。櫻の園は原作もチェックしたい。他には、戦場のメリークリスマスは、ぎこちなさはあるものの、大島渚の画の力に圧倒されるし、北野武の首もホモソーシャルの中にある男同士の情愛についてはっきりと描かれた作品として好きではあるのだけど、北野武のひどい発言を見るにつけ、あまり真に受けている場合ではないなと感じる。あと、表現されていないクィア性が多すぎる!

これからに期待したい。

 

 海外作品

 Uボート

 

 たしか高校生くらいのときに、定期試験で早く帰った際に、NHKシネマか何かで何気なく見てむちゃくちゃ圧倒された作品。潜水艦の中で展開する息もつまるような展開や、予想していなかった結末に、不条理さと、映画の持つ力を感じた作品。

 

 殺人の追憶

 

 ポン・ジュノ監督も韓国映画も大好きだが、その中でも、特に好きな作品の一つがこの作品になる。構図やモンタージュポン・ジュノ作品らしい微妙に間の抜けたショット等魅力に溢れた作品。

 

 大統領の陰謀

 

 陰影をくっきりつけた構図と、サスペンスドラマのようなヒリヒリした質感の展開と、ジャーナリズム映画として傑出した作品。ペンタゴン・ペーパーズや、ザ・レポート、モーリタニアン、スポットライト、ダークウォーターズ等ジャーナリズム映画、ドラマは優れた作品が多く、社会的な問題について考える手がかりにもなるので、好きなジャンル。

 

 ゾディアック

 

 フィンチャー作品でも一番好きなサスペンス映画。これも、ジャーナリズム的な側面がある作品だが、職人技的なカット割りと、目まぐるしすぎる展開を3時間足らずの尺に収めきる手腕に、映画のパワーを感じる。

 

 ファースト・マン

 

 IMAXレーザーGTで見た効果も大きいだろうが、個人的にイマイチ苦手なところがあるデミアン・チャゼル作品にここまで心を動かされたのも驚きではある。アメリカの英雄的な存在の語り直しとして、映像、音響、プロット等あらゆる面で傑出した作品。ジャンルとしては伝記、ヒューマンドラマ?的ではあるが、ニール・アームストロングNASAのミッションが作品の中心なので、SF要素もあるし、緊迫感のある場面なんかはホラー作品のような感覚もある。再上映してほしい作品の一つでもある。

 

 メッセージ

 

 この作品は、私が映画を定期的に見始めた2017年頃に公開された作品としての思い出もある。人とは異なる言語理解をする地球外生命体とのファーストコンタクトものなのだけど、急に襲ってきたりみたいなありがちな展開ではもちろんなくて、作中で出てくる概念一つ一つに様々な洞察ができて、SF作品の面白さを認識した作品でもある。

 

 2001年宇宙の旅

 

 SF映画でベストとして上がる作品だが、やはり迫力のある無駄のないショットと、ビジュアル的な魅力(美術等)は色褪せないものがある。

 

 ライトハウス 

 

 クィアな欲求について描かれた作品としても好きだし、ホモソーシャルな有害さによって身を滅ぼしていく男達のさまを他者を介在せずに展開すると、結果的にそのあっけなさが際立つ気がした。

 

 シャイニング

 

 キューブリックの1点透視とシンメトリーによる、画面構成はどの作品でも一貫して見られるが、個人的にはホラー映画の今作が一番うまくハマっている気がした。続編のスティーブン・キング原作を踏まえたドクター・スリープも好きだが、やはり映像的な魅力では前者が圧倒的だと見返すたびに思う。

 

 コクソン

 

 未知のものに対する計り知れない恐ろしさを、ナ・ホンジンの独特の映像美により描ききった傑作ホラー・サスペンス。村ホラーやシャーマニズムなど舞台装置がそもそも好みだし、二転三転していくプロットもホラーの醍醐味という感じで楽しめる。

 

 リング

 

 幼少期に見て、序盤の室内の描写の時点でトラウマを植え付けられた覚えがあるが、今見返すとしっかりとした画面の日本ホラーとして、ある種ノスタルジーも感じつつ、楽しめる作品。

 

 呪詛 

 

 モキュメンタリーホラーは優れた作品が多くあるが、今作は「そこまで見せるの」みたいな冒険心をくすぐるというか、今までにない怖さがあって良かった。見て広めて

 

 女神の継承

 

 今作もモキュメンタリーホラーだが、やはりコクソン同様得体のしれない存在が次第に取り返しのつかない事態を引き起こすという展開が面白さを感じる。個人的には、色んな国の地域の信仰に根ざしたホラー作品がもっと作られてほしいという感情がある。 

 

 フォックスキャッチャー

 

 男同士の関係性を描くのがうますぎるベネット・ミラー。今作は、徐々に有害になっていくスポーツ選手とその男、有名財閥の男との複雑な関係性をサスペンスフルに描いた作品で、やはり優れた映画作家は人間の多面性を写し取ることに長けた人が多いなと改めて感じさせられる。

 

 リトル・ミス・サンシャイン

 

 バラバラな家族がグダグダながらも再生していくアンチアメリカンドリーム的ロードムービー。個人的にゲイキャラの表象として、こういう等身大感が好みだなと思っている。

 

 わたしに会うまでの1600キロ

 

 女性が一人で旅をする際につきまとう危険性や、その楽しさ、過去のトラウマに関する感覚など多面的な主人公の感情が描かれる優れたフェミニズム映画。

 

 サンドラの週末

 

 休職していた女性が復職しようとするが、解雇を告げられ、それを回避するために他の同僚過半数からのボーナスを放棄するように求められ、説得しに回るというシンプルなプロット。ダルデンヌ兄弟のリアリスティックな演出により、同僚や主人公一人ひとりがかかえる背景が浮き彫りになっていく構造につらくなりつつも、現実とのつながりを覚えさせられる秀作。

 

 サンセット

 

 ネメシュ・ラースローは、FPS視点的な終始主役の背後から撮る作風で、今作は第1次世界大戦前夜の猥雑で不穏さを見せるブダペストを舞台とする。伯爵殺しの兄を探す女性の視点から垣間見える、様々な謎が臨場感たっぷりに描かれる重厚な作品。

 

 サンドラの小さな家

 

 家という最も大切な権利を失ったシングルマザーの女性が周囲の手を借りながら、家を立てる希望に満ちた話。

 

 17歳の瞳にうつる世界

 妊娠に気づいた女性が友人とニューヨークの中絶施設を目指す作品。原題のNever Rarely Sometimes Alwaysに含まれる意味が汲み取られていない日本語タイトルに問題を感じる。エリザ・ヒットマン監督のざらついたヒリヒリとした質感のフィルムに、現在進行形で中絶の権利が保障されていない日本も含めた国や地域に住む人々の苦悩の一端を見る。

 

 

 

 ケス

 ケン・ローチによる、労働者階級の少年と鷹との交流を通して、社会の冷酷な構造を浮き彫りにする作品。ケン・ローチの厳しい環境で生きることを余儀なくされる者たちへの眼差しには当初からずっと一貫していたのだと感じさせられる。

 

 

 

 

 秘密の森のその向こう

 

 君たちはどう生きるかの公開によって、セリーヌ・シアマ監督の宮崎駿解像度の高さを感じた作品でもある。行って帰るだけ、というシンプルな構成だが、深い余韻が残る。

 

 おばあちゃんの家

 

 ソウルから田舎のおばあちゃんの家で過ごすことになるわがまま都会っ子の少年と、読み書きができないおばあさんが次第に打ち解けていくプロットは王道だが心を打たれる。

 

 子猫をお願い

 高校を卒業した五人の女たちが、苦悩しながらも、それぞれのいきかたを見つけていく話。フェミニズム映画として傑出しているし、ラストがやっぱり好きすぎる。

 

 タクシー運転手 約束は海を超えて

 

 光州事件を世界に伝えたドイツ人記者と、その中で不条理な暴力を行使する軍に対する民衆の闘いを、ソウルから来た主人公のタクシー運転手の視点から伝えることで、当時起きていたおぞましい暴力の現場を体験させられる作品。

 

 

 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

 

 アメリカン・ドリーム的なもののアホらしさを主人公が体現して、滅びていく史劇。主人公はアセクシャルとして読解できるキャラクターで、体裁的に子供を拾う描写なども、社会の異性愛規範のバカらしさを表す皮肉として機能しているように思える。

 

 レヴェナント 蘇えりし者

 この作品に関しては劇場で見たことがないが、暴力に満ちた西部開拓時代に生きた罠猟師を圧倒的な映像表現で描いたアクション大作。

 

 

 抵抗 (フランス映画)

 

 ロベール・ブレッソン監督による淡々とした演出により、規律に満ちた刑務所と、その中で抵抗する主人公たちの動きが際立つというか、脱獄映画、刑務所映画の傑作の一つとして思いついた作品。もちろん、大脱走やショーシャンクも好きではある。

 

 アフターサン

 個人的にやがて海へと届くと関連させて考えたくなる作品。身近な存在であっても、その人が内心でどのような困難さや苦しみを感じているのかはわかり得ないという現実と、その上でなお幾度となく思考を繰り返し思い出そうと、理解しようともがく人の感覚について描いた作品として受け取った。

 

 

 ジャンル映画ばかりになってしまったが、異性愛恋愛もの以外は幅広いジャンル、スタイルの作品をチェックしていきたいとは思っている。書き出しているうちに、他ジャンルも含めて未だにチェックできていない無数の作品が大量にあるため、少しずつでも消化していきたいなと改めて思った。

 

 

 

 

 ドキュメンタリー映画

 サハラのカフェのマリカ

 アルジェリアサハラ砂漠の中でカフェを営む老女を捉えたドキュメンタリー映画。時折話すどこまで真実かわからない語りに、人の持つ多面性を感じさせられる。

 

 

 

 行き止まりの世界に生まれて

 ラストベルトと呼ばれるアメリカの繁栄を享受することのない地域で暮らす三人の若者を捉えたドキュメンタリー。男性同士が有害ではない関係性を志向することの難しさ。様々な苦しみとトラウマをかかえて生きていくことの難しさなど、今ここにある現実を写し出した作品。

 

 

 

 

 

 海外クィア映画表象

 

 weekend

 

 ゲイ男性二人の濃密な週末を写した作品。ヘテロ男性同士のロッカールームトークに不快になったり、男性同士の関係性が祝福されない現実など、今も残るクィアに対する表面的ではないが確実にある差別や偏見、なんとなく感じる違和感の中で過ごすクィアが描かれた作品としてすごく刺さった。

 

 

 大いなる自由

 社会が同性愛を法律や制度の上で禁じ、罰することがその只中を生きるクィアにとってどれほど深い痛みを与えるのかを描いた作品。差別の歴史について学び続けなければならないと思ったし、未だ認識されていないひどい歴史についても知ろうとしなければならないと感じた。 

 

 

 海に向かうローラ

 母の遺灰をまくため、父と旅をすることになるトランス少女の物語。この作品は、トランスとしての経験や、はじめは受け入れられなかった父との和解などが、トランスジェンダーが主役のキャラクターがおくれがちな凄惨な展開になることなく、丁寧に暖かく描かれた作品で、中々見る機会がないのがもったいないくらい。劇場公開や、配信でみられるようにしてほしい。

 

 

 はちどり

 90年代の空気感や、家父長制の問題、当時の韓国社会の様々な矛盾、同性や異性との恋愛などが、主人公の視点から、淡々と描かれていく作品。学歴主義を感じさせるセリフが随所にあって、韓国の学歴社会ぶりを実感させられた。と同時に日本でも、高校以降大学進学率が高いところになると、同じような事を言う人はいるのかもと感じたりもした。 

 

 キャロル 

 女が女を眼差すことついての映画。1950年代のニューヨークの空気感や、映り込むものや、微妙な表情の変化、仕草の一つ一つに意味がこめられた作品。ラストシーンは今も目に焼き付いて忘れられない。

 

 ソンランの響き

 

 無骨な男と、美形の男の出会いにまつわる映画。京劇役者の話というと、否応なく覇王別姫が思いつくが、今作はそこまで泥々とした苦痛に満ちてはいなくて、悲しいが、幕切れは非常に爽快感がある。

 

 トムボーイ

 

 割り当てられた性とは異なる性(男の子として)を生きようとする主人公をドキュメンタリータッチで捉える作品。子供の動きや振る舞い、また主人公の名乗りや振る舞いにたいする大人の反応など、私とは異なった経験ではあるから、一緒くたにはできないが、幼少期の感覚を想起した。

 

 ナチュラル・ウーマン

 

 トランス女性がただ生きるということが、どれほど困難さに晒されているか、その世界の中で生きる女性ついて描いた作品。困難さに晒されるトランスの作品は未だに多いので、もっといろんな安心して見られる表象が増えてほしいという思いがある。

 

 燃ゆる女の肖像

 18世紀フランスの島を舞台にした映画。 この作品も眼差しにまつわる映画だと感じた。会ったこともない男と結婚するための肖像画を依頼された女性の画家と、その肖像画を描かれることを拒否する女性の物語。この作品では孤島という空間で女性たちしかほぼ登場せず、その中である種ユートピア的に関係を深める二人と、その背後にある家父長制が直接的ではない形で描かれるスタイルにも、眼差されてきた女性の主体を語り直すことによって取り戻そうとする意図を感じた。 

 

 

 BPM 

 

 HIVエイズウイルスの蔓延が、政治の無作為とその背景にあるホモフォビアにより、多くの人の命を奪った歴史と、その構造と抗った人たちを描いた作品。

 

 ダンサー そして私たちは踊った

 

 lgbtqに否定的な価値観があるジョージアで、クィアな側面を有するものが生きる困難さを美麗な映像と、力強いプロットで描いた作品。ダンスシーンや、ジョージアの生活空間の描写なども良い。

 

 ヒヤシンスの血

 

 1980年代共産主義下のポーランド異性愛者だと思って、クィアたちを文字通り抑圧しようとしていた主人公が、自身のクィア性に気づいて行動していくというような話が好きなので、入れた。

 

 monsoon 

 

 旅先で、クィアな男と逢瀬をして、色んな経験をするという話は、多分異性愛ものだとたくさんあるのだろうが、クィア男性のコミュニティを写しながらやった作品はあんまりないので新鮮だったし、見終えた後清々しくなる作品。

 

 恋する遊園地

 

 対物性愛をきちんとその主体に寄り添って描いた作品。異性からのセクハラめいたアプローチや、自身の欲求が否定されるなど、主人公の女性がただ自分が望むように生きることが、簡単に損なわれる社会の嫌な空気感の描写の解像度が高いと感じる。

 

 ラフィキ

 同性愛が違法とされるケニアで暮らす若い女性二人が出会って、過酷な現実と立ち向かう話。ケニアの生活描写も興味深くて、それを見るのも映画の醍醐味ではある。良い作品なのだけど、展開が辛いので、もっと色んなスタイルのクィアムービーが作られてほしいと感じる。

 

 オールド・ジョイ

 

 厳密にクィアと言えるというより、そう読める作品としてあげた。男性の友人関係が結婚などのライフスタイルを期によって距離感が変化し、しだいにずれが見えてくるというなんとも言えない感覚をケリー・ライカートの手腕により、ものすごい解像度で描いた作品。から回る友人の身体的な接触の描写など見ていて痛々しくなる場面も作品を思い返すたび染み入ってくる。

 

 荒野にて

 この作品もクィアに読める作品としてあげた。居場所のない主人公が、競走馬と共に自身の居場所を求める物語。周縁化された孤独な感性の描写などにクィアとしてのシンパシーを覚えながら見ていた。

 

 パワー・オブ・ザ・ドッグ

 

 有害なマスキュリニティが自身にも、周囲に与える悪影響を、緊張感のある画面と演出で描いた傑作。

 

 

 

 

 なるべく、男性同士のクィア映画に偏らないように選んだが、それでも半分くらいは占めてしまった。あと、白人表象率の高さ...。また、トランスのキャラクターが主人公のトムボーイナチュラル・ウーマンに関しては優れた表象だが、つらい展開があるので進めにくいし、アセクシャル、アロマンティック、ノンバイナリーのキャラクターが登場する作品もほぼないし、バイセクシャルパンセクシャルの表象も少なかったり、最近でも大丈夫なのか?となる表象を見かけたりしたり(passages等)と、邦画のクィア作品の項でも書いたが、好きな作品をあげていくうちに表象の不均衡さを感じさせられた。

 

 ただ、とりわけ欧米圏の作品では、表象される数自体は、確実に増えてきているのを感じるし、恋愛要素がピックアップされがちという傾向は感じるものの、期待感はある。 
 

 

 

 

 

 

 

 音楽

 推したいアーティスト

 

 omoinotake 

ドラマのタイアップなどで、最近一気にブレイクの兆しを見せている島根出身の三人組バンド。というか、髭男といいsaucy dogといい、島根が熱すぎる。

 素人的には演奏の良し悪しはわからないがたぶんむっちゃうまいし、歌唱力も圧倒的で、ソウルフル?なリズムが心地よい。

 あと、おしゃれ。モラトリアムでこのバンドを知った。

 

 おすすめソング

・空蝉

・心音

・トニカ

・夏の幻

 

 

 女王蜂

 存在が私にとって生きる糧となっているバンド。話したらバリバリ関西弁のギャルなところとか、既存の枠組みを革新していくところとか、明確にクィアネスについて歌ってくれるところとか、本当感謝しかない。ライブ行きたい。確か火炎から聞き始めて、ハマっていった。

 

 おすすめソング

 バラード系?

・鉄壁

・アウトロダクション

・虻と蜂

flat

・火炎

・MYSTERIOUS

失楽園

 

 激しい曲

・夜天

・イントロダクション

・催眠術

・01

 

 羊文学

 他の例に漏れずタイアップ経由(マヨイガ)で知った。浮遊感のあるメロディーと、寄り添ってくれるような歌詞が個人的にはつらい時に染みる。

 

 おすすめソング

・1999

・honestly

・ooparts

・fool

・キャロル

・夕凪

 

 jordan rakei

 幅広いジャンルの音楽を合わせた繊細な歌詞とメロディが心地よい。来日したらライブに行きたいアーティストの一人。語彙力がないので、とりあえず聞いて見て。

 

 おすすめソング

・learning

・mantra

・mind's eye 

・mad world

 

 

 michael kiwanuka

 音楽的な知識が乏しいので、どう表現すればよいのかわからないけど、ジャンルとしては多分正統派のソウルで、染みる歌声と、70年代感のある?メロディが良い。

 

 おすすめソング

・beautiful life

・you ain't the problem

・solid ground

・hero

・light

 

 omar apollo 

 クィアとしての憂鬱な経験について歌った曲なんかが特に好き。tamagotchiという曲とかは日本のカルチャーとの結びつきを感じさせる。

 

 おすすめソング

・live for me

・evergreen

・ice slippin

 

 

 その他好きなアーティストを思いつくままま羅列

 日本

フジファブリックアジカン、キタニタツヤ、鬼束ちひろ宇多田ヒカルやくしまるえつこZAQ、fhana、cho cho、いとうかなこkalafina石川智晶、佐々木恵梨、岡崎律子新居昭乃、ことりんご、伊藤真澄矢野顕子origa、hitomi、中孝介、元ちとせdo as infinityyukiyui椎名林檎scandal、myuk、sajou no hana、MYTH&ROID、ねごと、ステレオポニー、高橋梢枝、高橋瞳チャットモンチー、aqua times、クラムボンたむらぱんschool food punishmentGalileo Galileibaseball bears、向井太一、akeboshi黒石ひとみ奥井雅美the pillows、優河、折坂悠太、tommy heavenly6トクマルシューゴ

 

 国外

 john grant、serpentwithfeet、aurora、bjorkradioheadoasisNorah Jonesanimal collective、Khruangbin、leon bridges、loyle carner、tom misch、labyrinth

 

 emicida

 

 

 音楽の紹介をしてみると、改めて語彙力と知識の無さを思い知らされる。あと、羅列したアーティストの雑多具合と、タイアップ経由で知った人が多すぎて、恥ずかしいし、クィアミュージックをもっと聞いていきたい。あと、最近は英語圏以外のポップミュージックも聞いていきたいなと思ってブラジルとかイタリア、フランスの曲を聴いて見ている。今後はアジア圏やアフリカの音楽も聴いていきたいと思っている。(思いついたら、適宜追加していくかもしれないです)

 

 

 

 ゲーム

 ポケモン不思議のダンジョン 空の探検隊

 

 人間からポケモンになった主人公とパートナーポケモンとの冒険「ローグライク系」を描いたゲームなのだけど、最初に主人公とパートナーを選ぶことができて、その過程では「性別」自体はバイナリーしか選べないのだけど、どちらの性を選んでも話し方は全く変わらないし、なんというかクィアプラトニック的とも読めるな絆を結んでいくキャラクターたちに、勇気をもらっていた。

 

 ポケットモンスターダイヤモンド・パール

 

 やたら本格的なホラー要素、なぞの場所の存在など小学校時代にプレイした経験が今も残っている。あと、シンオウ神話のスケール感や、音楽、物語、どの要素もハマっていて、楽しかった。特にギラティナの独特の見た目が好きだった。ポケモンは、ブラック・ホワイトで止まっているので、早くアルセウスにたどり着きたい。

 

 

 FE 暁の女神 

 

 父がやっていたのを借りてやり始めてハマったパターン。FEシリーズでは不調な作品だったようなのだけど、当時は時間も有り余っていたため、ボリュームたっぷりで戦略性を考えられるゲームとして何周もして楽しんだ覚えがある、後から、前作蒼炎の軌跡もやったのだけど、個人的に今作の方がグラフィックも向上しているし、好きなユニットである魔導士(セネリオ)がかなり強かったので、こちらの作品に思い入れがある。キャラゲーとしても良き。

 

 ドラクエ8

 

 この作品も父がps2でやっていたのを借りてハマったのだけど、何気に初ドラクエだった。前シリーズまでとは異なった挑戦が取り入れられた作品で、オープンワールド?的なスケール感を当時としては高精細なグラフィックで描かれているなど、ドラクエシリーズを追っている人からすれば、感動した人も多かったのかもしれないが、わりとあっさりプレイしていた。パルミド、ライドンの塔、メディおばさんの家など印象的な地域がたくさん登場して、旅気分を味わいながらまったり冒険していた。

 

 FF13

 

 同上の理由からps3でやり始めた。FFシリーズはdsでFF12はやっていた気がするが、FFのグラフィック 一本道と揶揄されていたマップデザインには確かに不満もあったが、召喚獣のデザインや、今見てもハイクオリティなムービー、キャラクターのモデリングなどに、当時はグッときていた。あと、武器が印象的でヴァニラの物理法則がよくわからない杖みたいな武具とか、ホープのブーメランのトンチキ間が好きだった。

 

 ゲームに関しては、正直ほとんど触れられていないため、これから開拓していきたいと思っている。このリストの中だと、空の探検隊暁の女神FF13は、クィアリーディングできる表象があって、プレイしていた当時は感情移入しながらクリアできたことを思い出した。

 

 FEシリーズや、ポケモンシリーズは数世代前で止まっているから、追いつきたいところだけど、switchをこれから飼うのもどうかと思って、次世代機が発表されたタイミングで色々と手をだしていきたい。

 

 

 

 推しっぽい人 

 キャラクター

 釘崎野薔薇

 

 私は、春野サクラや、四方院夜一、ナミ、ロビンなどのジャンプ作品における「かっこいい」女性キャラが大好きだった。その反面、それらの女性キャラは同時に性的な側面が強調して描かれることもあることに辟易していた。そんな中、ようやく(もちろん今までも優れた表象はあったのだろうが、とりわけメインストリートの表象においてという意味合い)納得のいくキャラクターが活躍する様が見られるということ自体に心が踊った。だからこそ、本編での扱われ方に、彼女一人が担わされてしまう役割の大きさに、つらくなってはいる。最後に何かしらの役割があるのではと今でも期待はしているし、彼女のようなキャラクターたちが生き生きと最後まで主人公として活躍し続ける物語がいつか現れるのではないかという希望は持ち続けている。

 

 実在の俳優さんで好きな人や、すごいと思う人はたくさんいるけど、推しというのとはちょっと違うと思ったので、フィクションの推しているキャラクターについてポエミーなことを書いてしまった 

 

 推しというかタイプ?国外の人編

 Pedro Pascal
 Oscar Isaac

 

pedroとoscarはふたりとも仲良しなbro感とか(ノンケ的な)、真面目だったり堅物な役柄と、役以外での振る舞いのギャップから好きになった気がする。

 

 Omar Apollo

 

omar apolloは私と同年代なので、勝手にシンパシーを感じたりしつつも、当然ながら私と違い過ぎてちょっと落ち込むこともあったりする。カミングアウトしてからすごく生き生きしている感じで、個人的にも嬉しい。

 

 Steven Yeun

 

steven yeunはウォーキング・デッドなどTVシリーズから、最近は映画の主役もこなすようになり、活躍が楽しみ。褒め言葉として普通にいそうなあんちゃん的な佇まいが好き。

 

 LaKeith Stanfield

 

lakeithはドラマatlantaのクセが強すぎるキャラクター性でハマった。instaとかもシンプルで独自のスタイルを感じる。

 

 Benicio del Toro

 

 benicio del toroは、若い頃も今の渋い顔も素敵。主役の作品をもっとみたい。個人的には、いかついけど心根が優しいみたいな役もみたい。ボードラインシリーズの役柄が張り付いてしまって、怖いイメージがついてしまったな、そのギャップも良き。

 

 国内の人編

 寺島進
 勝村政信
 渋川清彦

 

 渋い選出になった気がするが、私の心がざわつく要素として、悪役系、または悪役顔のおじさん萌えというのがあるので、それぞれ年齢層も違うけど、思いついた俳優さんを選んだ。私の「タイプ」とか「好み」は付き合いたいというよりも、もっとこの人たちが生き生きと活躍しているのを見たいとか、あとはクィアな男性の役とかやって二次創作の糧にしたいというような、それはそれで下世話な欲求が大きい。

 

 

 

 

 

 

 終わりに

 

 

 今回色々と好きなものや人について書き出していく中で、最近気力が落ち込んで創作物を摂取できていないことがなおさらつらくなってきた。未だ見れてない傑作と名高い作品とか、劇場スルーした作品とか、ひっそりと配信されている00年代アニメとか、ほとんど見れていない膨大な数のテレビドラマとか、ゲーム作品もやりたいし、時間と体力があまりにもなさすぎる

 

 

 ということでこれからに関しては、あんまりテーマを決めてないのですが、色んなコンテンツの感想や推しポイントを書いたり、セクシュアリティに関するモヤモヤや、あとブックレビューもどきのようなものとかを雑多に投稿していこうかなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

LGBTQに対するバックラッシュ ブログでも目に入るのしんどい

 チユキです 今回は好きなコンテンツについて紹介するブログを投稿しようと思っていたのですが、その前に愚痴というか、むかついていることについて少しだけ書きます。

 

 具体的にはブログという媒体においても、lgatqに対する偏見やその「お気持ち」を表明する人がそこそこいることを知ってモヤモヤしている件についてです。

 

 ブログという発信媒体自体もsnsなどと合わせて使用する人が多く、また個人の感情や思考が表出しやすい場としての側面がある以上仕方がないのかもしれませんが、例えば「LGBT」というタグではてなブログを検索すると、botかと思うようなsns(特にx)でもお馴染みの、全く代わり映えのないバックラッシュ的な「一家言」を書き連ねている人が複数散見されて、個人的にけっこうダメージをくらいました。

 

 

 バックラッシュが「効果をあげている」ということなのかもしれないのですが、私はsnsの言論環境が先鋭化しすぎてつらいなら、せめてブログのような形態であればまだ環境としてマシではと思って書き始めたこともあり、早速気力をそがれそうです。

 

 インターネット上の、あるいはそれらを書いている人間たちの思考なんて所詮便所の落書き以下の代物だと思えば良いのかもしれませんが、そうは思うようにしても、バックラッシュを扇動している人の言説に影響を受けたような事を書いている人ばかりの状況には削られます。

 

 

 もっとも、地道にlgbtqに関する知識や教育の啓発や運動を色んな人々が行ってきたことによって(これは必ずしもわかりやすい社会運動だけではなく、もっと広い意味での行動)、社会の認識も全体としては変わってきているとは思います。また、バックラッシュの言説に影響を受けている層も全体の割合としてはそこまで多くはないだろうから、そこまで悲観的なことばかりだとは思っていません。しかし、かと言って、今の社会状況に対する警戒心や疑念は確実にありますし、そうしたバックラッシュを容認どころか、積極的に行う政治家やその支援団体への怒りもあります。

 

 

 

 

 ブログというツールは、snsよりかは人の意見に耳を傾けやすい環境があるのではないかと感じるし、何より長文で様々な文章を読んだり、自身で文章を作り上げたりできることが魅力的だから、今のところやめたりするつもりはないですが、単純に気分は下がります。

 

 とはいえこうして愚痴を書いている内に、適当なデマを真に受けて、わざわざLGBTのタグを使ったりして、何の新鮮味もない言葉を書き連ねている人々のことが心底「愚かだな」とある種達観した気持ちになってきたので、少しは感情が整理されて落ち着きました。

 

 

 現実社会でも、フィクションでも、インターネット上でもセクマイが安心して過ごすことができない状況が、変わってほしいと切に思います。

 

 

 

 今日は愚痴を吐き出しただけになってしまいましたが、次回こそは好きなコンテンツについて書いていきます。今、少しずつリストアップしたものを基に書いているので、数日以内には掲載できると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

これからの目標や進路について

 

 

 気温があがって春らしい陽気になり、新しい年度の始まりを感じます。うつ病で沈んでいた時期は、こうした季節や年度の変わり目は余計に落ち込んでしまっていたのですが(年度の変わり目に落ち込むのは働いてる人でもあるあるかもしれないが)、今年はようやく清々しい気持ちで春を迎えられそうです。

 

 

 今回はこれからやりたいことについて書き出して見ようと思います。相変わらず拙い文章で恥ずかしいですが、読んで下されば幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 進路どうするか問題

 

 まず一番大きく、もっとも根本的な問題としてあるのが今後の進路についてです。何しろ働いてない状態で居続けるわけにもいかないので、何か手に職をつけるなりするのが当然の流れだと思うのですが、私の場合元々は大学に進学するはずが、うつ病と引きこもりによって中断されたという感じに考えているため、とりあえずは大学進学を再度目指すことを考えています。

 

 一応志望校、学部、学びたい専攻、研究室の目星はつけているのですが、何年も特定の大学に固執して挑戦し続けるというよりかは、他の資格の勉強なども平行しながら(もしどこにも受からなかった場合にスムーズに就労に接続するためにも、大学に合格した場合卒業後の進路も見据えて)、2年受験して合格したところに進学するという方針で行こうと考えるようになってきました。

 

 元々は、名の知れた大学に受かる方が良いと思っていたのですが、そもそも今の年齢で仮に「超名門」とされる大学に受かったとしても、学歴だけで得する場面は基本的にないはずなので、大学の経歴に執着する時間がもったいないと思えてきたということがあります。というか、日本の場合大体の受験生は基本浪人しても1年か、2年でほぼ全ての受験生が進路を決めるわけだし、浪人自体も年々減っているわけなので、2年も挑戦できるという状況はすごくのびのびさせてもらえているし、それ自体すごく恵まれできることなのだと思います。私自身のメンタリティとして、ストレートに進学する「若人」たちと年齢が開きすぎて、今更1年ズレたぐらい何とも思わないくらいの図太さが身についているという面もありますが、ともかく親には本当に頭が上がらないし、今後は楽をさせてあげられるようにしたいなと切に思います。

 

 

 また、大学の進路選択の幅を持たせたとしても、将来の幅が狭まることがないと思うのは、例えば学部レベルで勉強していて、その大学の研究室では学び足りないと感じるなら、大学院で「超名門」大学の大学院を目指すことだって可能だと考えているというのもあります。このように色んな選択肢を頭に入れておいて、何か失敗しても落ち込みすぎないようにやっていく心づもりです。基本的には関西圏で探そうとしているのですが、志望しているところはどこもそんなに簡単に入学させてもらえる大学ではないので、志望する大学の受験生のレベルまで引き上げるには相当頑張らないといけないことに変わりはないのですが。

 

 

 大学に進学できた場合、理系志望なのでおそらく修士課程まで進学して、卒業後は、前提として年齢制限が課されず、成果主義的で、有給を取れて、飲み会とかがなく、満員電車に揺られて通勤する必要が薄い職種という条件の中から選択していくという進路を歩むか、あるいは海外の学費がかからない欧州の大学院修士(この場合学部卒後)か博士課程に留学して、卒業後は欧州や欧米で仕事を探すという夢物語を想像したりはしています。

 

 その前に、学部時代に留学も行ってみたいから、バイトでしっかり稼いで、勉学と両立させながらやれたら良いなとかも考えています。

 

 

 年齢などでフィルターがかけられて、専門性を生かした職業に日本では就くことができないみたいにならない限りは、一度国内の企業(たぶんその場合は東京)で何年か働いてみるという選択を取るのが安定ルートなのだろうかとか、そもそも就活とかやれる気がしないないなとあれこれ考えているのですが、こういうのはまず進路が決まってからやるべきことですね...。 

 

 

 

 

 進路をどうするのかという問題は、自分に自信が持てないことの根本的な部分にずっと居座り続けているので、自分にとって納得がいく選択を取れるように頑張っていきます。

 

 

      

 今までやったことがなくて、やりたいこと

 

 

 ライブ・フェス

 思えば、私は20年以上生きてきて、誰かしらのアーティストのライブイベントに行ったり、ましてフェスに行ったこともないので、いつか絶対に行きたいなと思っています。特に行きたいのは、フェスだとサマソニと、フジロック、その他関西圏の主要フェス、アーティスト単位だと折坂悠太、優河、羊文学、女王蜂、jordan rakei、labyrinth、michael kiwanukaとかが、パッと思いついた範囲です。あとは、アニメやゲーム、映画音楽の演奏会とかも行ってみたいです。

 

 

 文フリ・コミケに行く

 文フリは、まず大阪や京都でならしてから、東京のフリマの規模感を堪能したいし、コミケも最初は物見遊山でも良いから、継続的に参加していきたいなと考えています。

 

 

 蚤の市、アンティーク市に行く

 関西もフリマとか蚤の市系で有名な所がたくさんあり、色々と物色したいなと考えているので、これは息抜きがてら行って見ようかなと考えています。

      

 

 長期の海外旅行

 台湾の台北には行くことができたものの、2泊3日でまだまだ周り足りなかったし、海外旅の経験もまだまだ浅いので、ベトナム、タイ、中国縦断、韓国一周、台湾一周、アメリカ東西横断、モロッコ、トルコ、エジプト、ウズベキスタン、ネパール...etc、行きたいところは無限にあります。個人的な理想としては、ある程度旅慣れて来たら、数ヶ月単位で世界一周するとかに憧れがあります。

 

 

 船旅と列車旅

 

 これも旅関係ですが、フェリーで旅行に行くのも旅情が味わえて楽しそうだから、いつか行ってみたいです。大阪南港、神戸港敦賀舞鶴港を利用したらけっこう色んな地域に行けるし、鹿児島まで飛行機で行って、そこからフェリーで屋久島や奄美地方へ行くというのも楽しそうだな、とかすぐに行くわけではないけれど、地図とにらめっこしてルートや予算を考えたりしています。

 

 列車に関しては、ローカル線だったら、国内でもたくさんあるし、長距離列車の場合は基本的に海外が多いので、例えばアメリカなら、アムトラックとか、ベトナム、タイ、マレーシアの半島を列車で縦断とかも世界の車窓からや、nhkのドキュメンタリーなどを見て憧れていたので乗ってみたいです。ちなみに鉄オタというわけではないのですが、インフラとか旅客輸送の経済・地理的な観点からの興味はあるのでその方面での雑談とかもそのうちしてみたいなと考えています。

 

       

 

 

 ゲストハウス、ホステルに泊まる

 南京虫が怖いのと、プライバシーが気になるという問題はありますが、旅好きの人とつながる機会が持てそうな事に魅力を感じるというのと、割と旅に人生のすべてをかけていたり、あまり俗世間の価値観に染まっていなさそうな人が多そうだから、私の経歴を話しても居心地良く過ごせたりするのかもしれないのではという期待感もあったりします。特に海外だとそういう人がけっこういそうで、引きずり込まれないように注意はしつつ交流してみたいなとは、コミュ力が無いながらに考えます。

 

 

 ワーホリなりビザをとって海外(欧米)で働いてみる

 これは、特に就労ビザの場合留学ができて卒業後にうまく働き先が見つかればという険しい道なので、どれくらいやれるのかにもよるのですが、年齢を含めた人材の多様性が日本より格段に富んでいる就労環境(日本も一部の企業や部署で多様性に富む職種はあるかもしれないが)に憧れはあるし、あと賃金面で出稼ぎになるから、チャンスをつかめるならやってみたいなと夢を見ています。収録ビザは難しくとも、ワーホリで数ヶ月間働くという方法も選択肢として取りうるので、そういった進路も検討したいなと思っています。

 

 

 ラブイベント等ナイトスポットに行く

 明らかに向いてない気はするのですが、一度どう感じるのか体験するためにも出向いてみたいなとは思っています。あと、アルコールを飲めない民なので、バーに行くとソフトドリンクしか飲めなくてちょっと損した気分になったりします。そのため、できたらノンアルカクテルとかがあるスペースだと良いなと思っていますが、あまり見当がつかないです。

 

 あと、そもそもモクテルを提供してくれるようなバー(ゲイバー系など)に行ったとして、かなりレベルが高い人(美意識も服装とか、容姿とか、コミュ力とか色々)が集まってそうで、私みたいな人間の居場所がなさそうという問題もあるから、店員の人がクィアでミックス系の和気あいあいとした感じのバーの雰囲気で、モクテルも提供してくれるところがあれば良いのになとふと思いましたがそんなバーに心当たりがない...。

 

 

 モクテルという条件は厳しいだろうから、その条件は除いて普通にソフトドリンク対応可能な居心地が良さそうなところを開拓して行けたらなと考えていますが、それも中々勇気がいる作業になりそうです。一人で行くのは勇気がいるし、基本的に話しかけられるのを待つタイプの人間だし、相槌をかえすのもそんなに得意ではないので、それこそバーとかクラブに行ける友達がほしいなとかも考えます。

 

 

 

 

 

 

 クィアな友達や、私のことを正直に話せる友達を作る

 

 友達作りは、いわゆる一般社会との関係が何年も途絶され、高校までの友人との連絡も完全に途絶えてしまっている私にとってはけっこう茨の道で、例えば男友達なら、クィア向けのambirdとかは、恋愛的な出会い以外も求められるらしいから、そのうちやって見ようかなとかは考えているのですが、それも中々マッチングしづらいなと思いますし。というのも、私と同年代かそれ以上の人だとほぼ全ての人とライフスタイルが異なっているし、私のマイナスに作用する経歴を補うほど他者に魅力的だと思ってもらえる何かを持っているとも言い難いので、以前からそのうちとは言いつつ、何も行動できていないです。

 

 結局コミュニティスペースとかに行く方が、色んな背景をかかえた人とも繋がれたりするのかもしれないです。あとは、例えばゲイ系だとサークルとかもあるみたいなのですが、恋愛周りがかなりややこしいことになっているところも多そうという偏見があります。

 

 私は、例えば複数人とのややこしい関係形が生じていたとしても、その関係に巻き込まれる心配は9割9分くらいないと思うのですが、ガッツリゲイコミュニティみたいな感覚のところだと(そうでないところの方が少ないか)、色々とむき出しの欲望が発露している人もいそうであること(ヘテロ社会では色々と我慢している人も多いという背景もあるから、そんなに強く批判できることことではないと思う)と、そういった出会いを求める場だと、やっぱり容姿とかによるヒエラルキーが生まれていそうで、その時点で居心地が悪そうだし、ノンバイナリー性のカムアウトとかはなおさら難しそうなため、基本的にはやめた方が良いかなとは今の段階では思っています。

 

 そうなってくると、クィアとその周辺の人がウェルカムな文化系のサークルとかだと趣味を通して繋がれるからまだ友達作りの勝機がある気がします。というか、なければ作ってみようかと思えてきました。文フリなどにzineや創作を介して繋がるとかも良いのかもしれません?

 

 

 

 あと、クィア男性以外の属性の人と友達になる場合(クィア同士の出会い以外)は、マッチングアプリ使うのもめんどくさそう(そも異性愛前提で、スパムだらけそうというイメージがある)だし、どうやって出会っているのか気になります。友達作りも、私にとっては進路と並んでかなり重要なことだと感じるので、人と出会うこと自体めんどくさいという気持ちはありつつも、色々と模索していきたいです。

 

 

 

 吉野の千本桜を見に行く

 季節の話題なのですが、私はあまり花見が得意ではありません。理由は人混みが苦手であることと、集団のノリにあまり良い思い出がなかったからなのですが、桜を見る事自体は好きなので、その迫力をもっとも体感できるであろう吉野の桜は、いつか観に行きたいなと思っています。関西に住んでるので行こうと思えばすぐに行けるのですが、人混みがネックとなり、体力が回復した去年も行こうか迷いながらも、結局行けていません。とりあえずは進路が決まってから行くことにしようかなと今は考えています。

 

 

 

 

 終わりに

 色々と赤裸々にさらけ出し過ぎていて、自分で書いていても恥ずかしいのですが、整理はつくし、こうして書き出していく中で気付いたこともあるので、意味は多分あったと思います。あと、特に進学以降にやりたいことは難易度の高いことが多くて、書いていながら本当に実現できる気がしないなと思えてきました。うまく折り合いをつけながらやっていきたいです。また、何かしらの肩書がない状態って今の社会では本当にしんどいから(匿名性の高い空間とかでないと中々自分を表現できないし、セクシュアリティのことと合わさると本当二重苦になるので...)学生でも、フリーランスでも、会社員とか何でも良いから何かしらの肩書を手にしたいなとは改めて思いました。

 

 あと、書いていて気付いたこととして、基本的には一人でも過ごせるタイプの人間だとは思うのですが、流石に色んな面で人恋しく感じているのだなと自覚しました。私の場合ロマンティックな感覚がない分、それ以外の親愛とかに向いている感覚があって、例えば腹を割って話せる親友とか、色んな問題とかについて課題を共有したりできる仲間のような関係性を少しでも築いて行けたら良いなと思います。それと、ゲイカルチャーについて詳しいクィアギャルの友達もほしいです。そもそも多分パリピクィアギャルたちに友達になってもらえる自信がないですが。

 

 

 

 次回は、好きなコンテンツについて紹介していこうかなと思っています。