複雑系の渦に落ちて

ダラダラ生きていきたい 

セクシュアリティの自己認識と違和感

 先日に引き続き、今回も自己紹介をしていく感じでいきたいと思います。読みにくい文章かもしれませんが、よければお付き合いください。

 

 

 なお今回の内容には、性的な記述も含まれています。特に「性的な惹かれの自覚」の項では、具体的な性愛の感覚にまつわる記述があります。

 

目次

 

 

 

 セクシュアリティを自覚した時期

 

 セクシュアリティの自覚に関しては、性的な惹かれと、性自認、恋愛的な惹かれとそれぞれ違った時期に気づき、それをラベリングする「名前」を知っていったのですが、私のセクシュアリティに関する感覚と社会との間に生じる違和感のようなものは、かなり幼少期から感じていたと思います。

 

 

 

 

 ノンバイナリーと関わるアイデンティティの自覚 

 

 私が記憶している中で最初に感じた違和感は、思えば幼稚園に通っていた時分から始まっていて、一つエピソードを挙げるとすると、些細なことで泣いてしまうという当時の私の特性を、親や周りからすごく否定的に捉えられたということがあります。

 

 

 

 その時点では、男性らしさ(男の子らしさ)みたいなものが、私の見かけに紐づけて求められることを言語化できていたわけではありません。しかし「男らしさ」というよくわからないものに適応しなければならないという呪いをその時から最近になるまで持ち続けていたように感じます。この「呪い」は、今にも尾を引くメンタルヘルスの問題とも関わってくるのですが、ここではひとまず置いておいて、先程の話に戻すと先述した違和感というのは、ノンバイナリーとしてのアイデンティティと関わるものであったのではないかと、最近になって考えるようになっています。

 

 

 

 

 

 性的な惹かれの自覚

 

 次に自覚したアイデンティティは、性的な惹かれなのですが、これは小学校高学年の5年から6年生頃にかけてです。

 

 

 

 きっかけとしては、当時親しくしていた(今思うと、男性らしいグループに入ろうという戦略の元で親しくしていたという補足はつく)男の子の友達が、「早熟」と言って良いのかわかりませんが、性的なことに興味を持ち始めて、いわゆるアダルトビデオを私を含めて幾人かと視聴するという00年代以降には「よくある」行為に参加させられていたことです。もっとも、ゲイファンタジー的な抜き合いみたいなのは、年齢的にも?ありませんでしたし、単に面白がって視聴しているものに相槌を返すという私としては虚無の時間だったことは説明しておきます。

 

 

 

 ただ、そこで何の興味も持たない私は何なのだろうという疑問は、やはりというべきか生じてきて、はっきりとした時期まではわからないものの、その後自宅でヘテロ向けのポルノをあらためて見るうちに、男優の方に惹かれていることに気づいたというのが、おそらく性的な惹かれの気づきの原点だと思います。

 

 

 

 それと同時期くらいから、同年代の男の子たちの中で、気になる子もでてくるのですが、特にロマンティックな展開なりが発生することもなく、かと言って「異性」とつきあうということもなく、小学校、中学、高校と過ごしていました。

 

 

 

 性的な惹かれが男性に向くことに気づいたきっかけとなったエピソードに関しては、すごく嫌な気づき方だったと感じていて、ポルノを通して自身の惹かれを自覚するという流れは、その後、今とは違って自分をゲイだと思うようになった後も、性的な側面でしかセクシュアリティを捉えることができなくて、今でも性に対して否定的に捉える感覚(男性に惹かれる点に関してというよりも、特に男女のセクシュアリティへの嫌悪感)の原点となってしまっていると感じます。

 

 

 

 セクシュアリティが性的な行為に矮小化されたりするのは、ホモソーシャルな文化の有害性と、ポルノグラフィーのゾーニングがなされていないこと、性教育が遅すぎること、性的マイノリティの場合存在が想定されていないこと、などの複合的な要因が重なって形作られていますし、私のようにポルノなどの極端な形で作られた性的コンテンツを通じて自分のセクシュアリティに気づいたりする人がいなくなって欲しいと個人的には感じます。

 

 

 

 

  

 

 

 

 ゲイだと認識していた頃

 

 

 先述したように当時(小学校6年頃)から大体19、20歳頃まではゲイとして自身を認識していました。男らしさに違和感は覚えていたものの、特定のジェンダーを指向しているわけでもなかったため、私の場合はとりあえず男性に対して惹かれる「男」という風に自身を定義づけていました。

 

 

 また、あるある話かもしれませんが、バイセクシャルである可能性も捨てきれないという風に、頭の何処かでは考えてしまっていました...。

 

 

 この背景には、異性愛という枠組みに沿って成人して、家庭を持ってというような「異性愛規範」も確実にあったのではないかと今では分析しています。一人で、あるいは男性のパートナーと生活するというロールモデルの存在がなく、いずれは「異性」と結婚して、子供を作るという「ロールモデル」になるのだろうかと幾度となく考えて、言いようのない不快感を感じたことを覚えています。

 

 

 ゲイを含めたセクマイの知り合いと出会ったりすることもなく過ごしていたため、ゲイネスみたいなものを探求する場もやはり?ゲイ系の掲示板や、サイトなりになり(rom専だったけど)、割と極端な(悪いと言っているわけではない)性活動をされている人々の話とかが目に入ってくるため、一歩を踏み出すことにかなり戦々恐々として、結局ゲイ活動的なこともせずにいました。

 

 

 

 今思うと、関西でも都市部に住んでいたので、近隣の公園の〇〇など気軽に行けるところにも、ハッテン場みたいになっているスペースはあったようなのですが、もしも未成年の状態で行っていたら、性暴力の危険性も高かったはずだと感じるので、実行しなくて良かったと今では考えています。ハッテンバ今場とされる場所に未成年で行くことは今でも危険なので特に未成年の人は絶対にやめた方が良いと思っています。というか、未成年に手を出す大人が悪いという話なのですが。

 

 

 今だと、「lgbtq 支援団体リスト」などと検索すれば、ユース(若者)向けの電話相談や、東京や大阪だと対面で相談できるプライドハウス、プライドセンターといった施設、メタバース上で交流できるスペースなどもあるみたいなので、興味のある人は調べてみてください。

 

 

 関西の場合、ゲイが集まる街(厳密にはゲイだけじゃないけど)が大阪の堂山ということは、中学生くらいの時点で知っていたのですが、勇気が出せず、結局最近になるまで行く機会はなかったです。

 

 

 ちなみに、中学校の時分に家族旅行で新宿の外れの宿を取ったときには、二丁目付近は通らなかったものの、ゲイっぽい人がいないかドキドキしながら歩いていたことを思いだしました。新宿の伊勢丹メンズ館がメッカであること(大阪は確か阪急メンズ館なのかな)なんかもどこかで見知っていたので、そのあたりを通る時には、特にドキドキしていたような記憶があります。当時は、親にカミングアウトしていなかったので、そのことを伝えたりは当然していませんでしたが。

 

 

 「ゲイだと認識していた」とは書いたのですが、ノンバイナリーという認識になった今でもゲイカルチャーに親和性を覚えたりする部分はありますし、ゲイバーなんかも、しっくり来そうなところがないかなと考えてたりはしています。(まだ数回しか行ったことがないけど)

 

 

 ただ、今までの経験を見聞を照らし合わせると、ゲイバーやゲイクラブなどはやはり「男性同士」が「出会い」を求める場としての側面が強いため、いまいちしっくりこなさそうだなとも感じます。

 

 

 

 

 ゲイアイデンティティとのズレ 

 

 ゲイだと認識はしつつも、男性と性的な関係になったりする機会もなく、また成長するに従い、男性らしさを押し付けられる風潮がより強くなるにつれ、性別二元論的な「男らしさ」「女らしさ」という概念への、言語化できないモヤモヤが、募っていました。これは、異性愛しか認められない社会への違和感と、男女という枠組みを強制してくる社会への違和感だったのだろうと今では考えています。

 

 当時はそれに抗うことができるとは思っていなかったので、制服や着替えにモヤモヤする、トイレの小便器をどうしても使いたくない、水泳が嫌で休むことがあるといった、今考えると腑に落ちる無意識の抵抗も、単なる「わがまま」か、そのうち「治る」ことだと思っていました。

 

 

 他には、仲の良い友達が男女問わずいた時期があったのですが、彼らと楽しく過ごすことと、私の場合彼氏なりを作って過ごすことってそんなに違うことなんだろうかと考えた記憶があります。

 

 

 今思えば、多くの違和感や「きっかけ」はすでに芽生えていたはずなのですが、性的な惹かれとは違ってはっきりと言葉にできないもどかしさを感じていたのかもしれません。

 

 

 

 

 今のように自身を認識するようになった時期

 

 高校をなんとか卒業したは良いものの、受験に失敗して宙ぶらりんの状態になっていました。そこから半年後くらいに受験を含めたあらゆる面に悪影響を与えていたハラッサーとの悪縁を絶てたことで、ようやく自身のセクシュアリティについて向き合う準備ができはじめました。とは言っても、悪縁を絶った時点でうつ病適応障害と診断され、同時に引きこもり状態になっていき、そこから1年から1年半くらいは何もできない状態が続いたのですが、20歳くらいになってからようやく自身が違和感を感じていたセクシュアリティについて細かく調べ、今のように自身を定義づける言葉を手にできるようになりました。

 

 

 また、ノンバイナリーとアロマンティックというセクシュアリティに関しては、最初からピンときたわけではなく、その語彙と出会ってから1年くらいしてからようやく、もしかしてそうかもしれないという感じの受容でした。

 

 

 アロマンティックに関しては、当時の日本のアセクシャルコミュニティ(というか私が目にしたコミュニティでは)では性的にも、恋愛的にも惹かれない(アロマンティック・アセクシャル)という意味合いで使われている例が多く、恋愛的に惹かれないバージョンだけを指す語彙はないのかなと片っ端から調べたりしていました。

 

 

 

 最近の感覚

 

 セクシュアリティに関するもやもやが解決してからは、トントン拍子にクィアとして楽しく生きていけたと言うことができれば良いのですが、そのあたりはやはり社会との軋轢や、ハラスメントの傷を癒やすことに何年も時間を費やしたりと、この2年程前までは、基本的には自宅に籠もってばかりという生活が続いていました。ただ、映画館で映画を見るという習慣は、コロナ禍に見舞われる少し前くらいから始まって、そこでクィアな作品と出会うような機会はありました。他にはSNS(当時のtwitter)を始めて、クィア当事者の人の意見をフォローしたりといったこともしていましたが、対面で交友関係を深めるということは全くできていませんでした。

 

 

 2年程前まではと書いたのですが、それ以降はlgbtq系のコミュニティに出入りするようになりました。それが、今考えると私にとってはけっこう大きな変化になったと感じています。

 

 

 初めは、引きこもり生活に伴うコミュニケーション能力の減退や人間不信もあって、あまり居心地が良いとは感じられていなかったのですが、散発的ではあるにせよ、複数のスペースに出入りするにつれ、話すことにも少しではあるとはいえ慣れてきて、社交に対する不安感も軽減されてきたと感じます。

 

 

 私の場合、セクマイであることの悩みがうまく消化できても、メンタルヘルスの問題、引きこもり状態に陥ってしまったという問題は残っていたため、多くの人々が経験するセクシュアリティの受容から、コミュニティへの参画(もちろんそうしたコミュニティとはかかわらずに生きる人も多くいるだろうが)といったある種の枠組み(もちろん人それぞれ違った経験をしているだろうから一般化はできない)とはかなり異なった歩みをしてきたと自負しています。

 

 

 

 1年半程前になってからようやく、ゲイバーにコミュニティスペースでできた知り合いの方に始めて連れて行ってもらったり(その時点で24歳)、東京に一人で旅行して、ゲイバーやプライドハウスを訪れたりと少しずつではあるものの、他者との繋がりを取り戻しつつある感じです。もっとも、いずれも苦い経験になってしまったのですが...。結果としては、緊張しているのと、ゲイバーのカルチャーにイマイチわからず、店子やママさんに気を使わせてしまったり、正直にセクシュアリティを話したら、否定的な事を言われてしまったりと、中々難しさを覚えた経験でした。

 

 

 これからは、交友関係をより深めていきたいところなのですが、コミュニティスペースでの関係は良いところでもあるのだけど浅くなりがちで、どのようにクィアな人や、クィアでなくても単純にフィーリングや趣味などが合う人との繋がりを作っていけるのかを考えています。

 

 

 

 

 

 

 なんで無職になったのか

 

 上述の問に対する完結な回答としては、長年にわたり継続して通っていた習い事の指導者からの度重なるモラル・パワーハラスメントを受けたからということになるのですが、この経験は人生においてあまりに長い年月にわたって入り込んでいるため、私のセクシュアリティの形成や自覚が妨げられたこととも、大いに関連しているのではないかと考えています。このあたりに関してはまたそのうち文章として、整理したいと考えています。

 

 

 

 かなり、長くなってしまったので、今回はこのあたりで止めます。次回以降は、好きなコンテンツや、これからの展望、目標について書いていこうと思います。